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卒業式の日に聞けなかった言葉を確かめる、良い機会だと思いました。
わたしはお兄ちゃんの腕から手を離し、横断歩道を斜めに横切ろうとして、
後ろから来た人に跳ね飛ばされました。

「!」

踏ん張ろうとしてつんのめったわたしを、お兄ちゃんが抱き留めました。

「あ……」

「大丈夫か? ○○。人混みで手を離したら危ないだろ?」

「あ、ごめんなさい。
 ……今、R君が見えた」

「え? どこに?」

お兄ちゃんがきょろきょろしました。抱きついたまま、
わたしが首を巡らして見回すと、R君の姿は消えていました。

「あれ……? おかしいな、確かにあっちに居たのに」

お兄ちゃんの顔が、険しくなりました。

「道路で人に気を取られてたら車に轢かれるぞ。
 ほら、信号が変わらないうちに渡らなきゃ」

わたしはお兄ちゃんに手を引っ張られて、向こう側に渡りました。
デパートに着いても、お兄ちゃんはまだ不機嫌そうでした。

「お兄ちゃん……ごめんなさい。余所見しないように、気を付ける」

「ん、わかった。あんまり心配させんなよ? さっきはひやっとした」

「うん」

お兄ちゃんと仲直りできて、ホッとしました。
さっきR君だと思った人は、見間違いだったのだろう、と思いました。
R君だったら、わたしに気が付いていたはずです。

婦人服売り場で、お兄ちゃんがワンピースを選んでくれました。

「ちょっと……裾が短くない?」

「ショートヘアなんだから、活発な感じにしろよ。
 お前に任せてたら、おばさんみたいになるぞ」

「ひどい……」

「あ、う……絶対おばさんには見えないって。どう見てもまだ小学生だ」

「もう中学生なのに……?」

「ん、ぐ……あはは、すぐに背が伸びるさ」

「…………」

わたしがむっつりしていると、お兄ちゃんは可笑しいぐらいしょんぼりしました。

「○○〜。許してくれよぅ」

わたしは我慢できなくなって、くすくす笑いました。
結局、お兄ちゃんの選んだワンピースを買って、その店を出ました。

いつものように、上のフロアの書店に行こうとして、
エスカレーターの脇に貼ってある、美術展のポスターに気づきました。

立ち止まって眺めていると、お兄ちゃんが声を掛けてきました。

「見ていくか?」

「うん」

催し物会場は空いていて、わたしが迷子になる心配は無かったのですが、
何とはなしにお兄ちゃんと寄り添って、ゆっくり足を運びました。

「写真、撮っておこう」

「カメラ、持ってきたの?」

「ああ、F兄ちゃんに借りてきた」

「ここは、撮影禁止って書いてあるよ?」

「中ではダメだけどさ、記念に、外のポスターのところでなら良いだろ」

会場の外に出て、受付の横のポスターの前に立ちました。
お兄ちゃんがポケットから取り出したカメラは、小さいけれど高そうでした。

「高級品だぞ。写りが良いんだ」

お兄ちゃんは、いきなりカメラを構えて、パチリと1枚撮りました。

「お兄ちゃん。まだポーズ取ってないよ?」

「自然な表情を撮りたかったんだ。お前、すぐ緊張するから」

お兄ちゃんはにやにやしながら、パチパチとまた撮影しました。

「お兄ちゃんのも撮りたい」

「じゃあ、一緒に撮ってもらおう」

お兄ちゃんは、受付のお姉さんに声を掛けて、カメラを渡しました。
わたしがお兄ちゃんの横に並ぶと、お兄ちゃんが腰に手を回してきました。

「もっと寄れ。後ろのポスターが入らない」

後ろからお兄ちゃんに、抱きすくめられるような格好になりました。
受付のお姉さんが、わたしの頬の赤さに気づかないかと、どきどきしました。

そのあと、昔よくお兄ちゃんと一緒に行った喫茶店で一休みしました。
もう帰るんだと思って、ちびちびとチョコレートパフェを食べました。

お兄ちゃんは外に出ると、駅前のコインロッカーに荷物を入れました。

「帰らないの?」

「疲れてなかったら、ちょっと遠出しよう」

「ホント? わたしはだいじょうぶ」

お兄ちゃんは行き先を告げないまま、二人分の切符を買いました。
快速列車の座席で揺られていると、うつらうつらしてきました。
わたしはこの頃から、体質が変わったのか、乗り物酔いが軽くなっていました。

お兄ちゃんに揺り起こされて、もたれていた肩から顔を上げました。
海の近くの駅でした。


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