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「去年はケーキがプレゼントになっちゃったけど、
今年はプレゼントは別だ。期待していいぞ」
お兄ちゃんの声は楽しげでしたが、わたしは少し不安になりました。
「お兄ちゃん、そんなに……お金使わなくて良いよ?
わたし、ケーキだけで嬉しい」
「任せとけって。こないだからバイト始めたんだ」
「アルバイト?」
「ああ、家庭教師だ。知り合いの家の中学生を教えてる」
「家庭教師って……大学生がするものじゃないの?」
「ふつうはそうなんだろうな。友達に頼み込まれたんだ。
こいつ、下に中2の妹がいるんだけど、勉強はしない、塾はサボる、
親の言うことは聞かないっていうわがままな子らしくて……。
それがどういうわけか、俺が家庭教師するんなら勉強する、
って言い出したらしい」
「お兄ちゃん……その子のこと、知ってたの?」
「いや、学園祭で一度会ったみたいなんだが……覚えてなかった。
まぁ、友達の頼みだしな、えらく条件が良いんで行ってみたら、
晩飯は食わしてくれるし、これが兄貴の話と違って素直な子だった」
わたしの心の中で、警報機が鳴り出しました。
「その子、どんな感じ? 可愛い?」
「んー。可愛いって言えば可愛いかな……?
しかし性格がいまいち掴めなくてな……お前に訊きたいぐらいだよ」
お兄ちゃんの声の歯切れが悪くなりました。
「どういうこと?」
「兄貴の言うのとは違って良い子なんだが……緊張しすぎなんだ。
俺がなにか言うと『はいっ』って元気良く言うとおりにするのはいいけど、
肩なんかもうガチガチで、笑顔が引きつってるんだよ。
話しかけるまでなんにもしゃべらないしな……。
今時の女子中学生って、なに考えてるのかな?」
クラスで一番浮いているわたしに、今の女子中学生の生態を訊こうなんて、
お兄ちゃんも見当外れのことをする、とわたしはため息をつきました。
でも、同年代の嗜好にうといわたしでも、わかることはあります。
「ハァ……お兄ちゃんがそんなに鈍いなんて、思わなかった」
「あ? 俺が鈍い?」
「そう。その人、きっとお兄ちゃんが好き」
「えぇ? ……しかし、初対面の時なんか思い切り睨まれたんだぞ?
その場で帰ろうかと思ったぐらいだ」
わたしはまた、大きくため息をつきました。
「お兄ちゃん、女の敵ね。犯罪的」
わたしの声は、自分の耳にも、氷雪のように冷たく響きました。
「おい! なに怒ってるんだ?」
「その人がぎくしゃくするのは、好きな人の前でアガってるの。
お兄ちゃん、どうするつもり?」
「マジか……? 参ったな」
電話越しにも、お兄ちゃんが苦り切っているのがわかりました。
「困る? お兄ちゃん、付き合ってる人居るから?」
「いや、今は居ない」
思いがけない返事に虚を衝かれました。
「……ホントに?」
「まぁ、一緒に遊びに行くぐらいの女友達は居るけどな。
特定の彼女は作ってないよ。トレーニングもバイトもあるし、忙しくて」
「じゃあ……その家庭教師してる子が告白してきたら、付き合う?」
鼓動が痛いぐらいに激しくなってきました。
電話越しでなかったら、お兄ちゃんに悟られかねないぐらいに。
「いや、そんな気はぜんぜん無いけどな……。
仲のいい友達の妹だからな……泣かせるわけにもいかないし、困った」
わたしは安堵の長い息を吐きました。
「まぁ……まだそうと決まったわけでもないし、
いざとなったらその友達に相談してみるよ。
あ……長電話になっちまった。じゃ、またな」
「またね」
お兄ちゃんが逃げるように電話を切り上げたせいで、
最後までわたしの声は冷たいままでした。
部屋に戻ってお守り袋を縫いだしても、もやもやしたものが胸にわだかまって、
なかなか手許に集中できませんでした。
お兄ちゃんが家庭教師をしている子は、どんな顔をしているのだろう?
実の妹のわたしがいっしょに居られないというのに、
その子がお兄ちゃんに寄り添って勉強できるなんて、不条理ではないか?
お兄ちゃんが誰と付き合おうと、妹のわたしに口出しできる筋合いはない、
とわかっていても、波立った胸のざわめきは、なかなか静まりません。
お兄ちゃんがクリスマスイブにその子の家に招かれて、
顔のぼやけた誰かから告白を受ける光景が、目の前に浮かび、
顔も知らない相手に嫉妬するなんて、どうかしてる、と自嘲しました。