95:


わたしは眠りが浅くて、夜中に何度か目を覚ますことがあります。
薄く目を開けると、目の前にお兄ちゃんの顔がありました。

寝ぼけ眼で、ああ、お兄ちゃんが居る、と思いました。
両手を伸ばして、お兄ちゃんの頬をぺたぺたと触りました。

お兄ちゃんの顔が近づいてきて、わたしの唇に、キス、しました。
かすかに触れるだけの、ファーストキスでした。

わたしはたまらなくなって、はあ、とため息をつきました。
夢うつつの中で、髪に、耳に、首に、胸に、お兄ちゃんの手のひらを感じました。

手足が自由に動かなくて、深い水底に沈んでいるような気がしました。
頭の芯はぼんやりと麻痺しているのに、体の内側は熱く燃えるようでした。

わたしは不意に正気に戻り、あっ、と叫んで目を見開きました。
お兄ちゃんは、目の前から掻き消えていました。

上体を起こしてきょろきょろ見回すと、部屋に明るい光が満ちていました。
時計を見ると、もう10時を過ぎていました。

わたしは混乱しました。
まだ、唇に、お兄ちゃんの感触が、鮮明に残っていました。
わたしがベッドの上でぼうっと余韻に浸っていると、ドアが開きました。

「○○、もう起きたか? 朝ご飯食べないと……」

お兄ちゃんは、わたしのエプロンを着けていました。

「あ……お兄ちゃん、おはよう……」

いつもと変わらないお兄ちゃんの顔を見て、思わず視線を横にずらしました。
夢だったんだ……と思いました。

「……ん? どうした、顔が真っ赤だぞ?」

そう言われて、ますます頬の熱さを意識しました。

「……変な夢を見ただけ。着替えたら、すぐ行く」

「ん、食堂で待ってる」

階段を下りるお兄ちゃんの足音を確かめてから、わたしは自室に戻りました。
パジャマを脱ぎ、湿ったショーツを新品に穿き替えました。
お兄ちゃんの前で、どんな顔をしたら良いのだろう、と思いました。

食堂に入る時、自分の顔が強ばっているのがばれないか、とびくびくしました。
お兄ちゃんは椅子に座って、新聞を広げていました。

「お兄ちゃん、おはよう……」

「おはよ」

お兄ちゃんは新聞を畳んで、にっこりしました。
朝のロードワークの後にシャワーを浴びたのか、さっぱりとしていました。

朝食のメニューは、ご飯、甘い卵焼き、薄いおみそ汁、納豆と海苔でした。
食事制限は緩められていましたが、おみそ汁のおつゆは飲みませんでした。

「今日はどっか行こう。行きたいとこあるか?」

「う〜〜ん……」

ずっと引きこもっていたので、場所のイメージがさっぱり湧きません。

「決まらないんなら、任せろ」

「うん。お茶碗洗うから、エプロン貸して」

「俺が洗っとく。お前は服を着替えて来な」

部屋で外出着に着替えて食堂に戻ると、お兄ちゃんが怪訝そうな顔をしました。

「お兄ちゃん、どうかした?」

「そのワンピース、昨日も着てたな?
 去年も同じのを着てたし……小さくないのか?」

「これ? 前のは小さくなってきたから、新しく買ったの。
 同じのが、5着ある。毎日でも着れる」

「え? 毎日、同じ服なのか?
 服を1着しか持ってないと思われるんじゃないか?」

「なぜ、そう思われるの?
 1着しかなかったら、洗濯できないから汚れちゃうでしょ?」

「……まあ、それはそうだけど。
 なんで違う服を買わないんだ?」

「これは、お兄ちゃんが選んでくれた。
 それに、たくさん種類があると、朝どれを着ていくか迷う」

お兄ちゃんは、苦笑いを浮かべました。

「だったら、曜日によって着る服を決めとけばいいだろ。
 今日は、新しい服を買いに行こうか」

なるほど、と思いました。

「うん」

駅前でバスから降りると、春休みのせいか周りは人混みでした。
わたしは、お兄ちゃんの差し出した手を取りました。

お兄ちゃんと手をつないで歩くのは、ずいぶん久しぶりです。
横断歩道で、赤信号だったので立ち止まりました。
わたしはお兄ちゃんの肩に、顔を寄せて呟きました。

「お兄ちゃん、一緒にここに来るの、久しぶりだね」

お兄ちゃんが、わたしの目を見て言いました。

「○○、ずいぶん元気になったな。最近は調子良いか?」

「うん、今日は体がすごく軽い」

地に足が着いていないような気がしました。

「信号が変わるぞ」

前を向いて、見知った顔に気づきました。
R君が、向かい側の人混みの中に居ました。


お兄ちゃんに選んでもらったワンピースを着てお兄ちゃんと手を繋いでお兄ちゃんの肩に顔を寄せてお兄ちゃんと一緒に服を買いに行く…ああぁ
2015-11-08 03:28:06 (2年前) No.1
お兄ちゃんが妹のエプロンつけてる姿...
2017-04-10 22:35:16 (1年前) No.2
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