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Uを通じて見る世界は、今まで自分が住んでいたのとは別世界でした。
お兄ちゃんと私しか居なかった世界に、風穴が空いたようでした。
「まぁアンタが気にせんちゅーんならどーでもエエんやけどな。
変な噂が立ったらアンタの兄ちゃんにも迷惑かかるかもしれんで」
自分の噂には無関心でいられましたが、
お兄ちゃんに累が及ぶかもしれない、と聞いて胸がギクリとしました。
「それは……困る」
でも、肌身離さず持ち歩いていた写真を捨てるのは、躊躇われました。
逡巡して視線をさまよわせていると、じっと見ていたUが言いました。
「アンタなぁ……そんなしょぼくれた顔せんとき。
なんやわたしがいじめてるみたいやん。
……しゃーないな。エエもんやろ」
Uも生徒手帳を取り出して、中から抜いた1枚の写真を差し出しました。
写真を見ると、妙に髪の長い男の人が写っていました。
「これ……Uのお兄さん?」
「……アホかアンタは。アンタの家にはテレビ無いんか?」
「あるけど、ニュースとかしか見ない」
「ドラマとかは見いへんのか?」
「ドラマはウソばっかりだから」
仲の良い家族の出てくるホームドラマは、特に苦手でした。
「ハァ……それやったら、俳優の名前言うてもどうせ覚える気ないやろな。
この写真を兄ちゃんの写真の上に挟んどき。
生徒手帳を落としでもせんかったら、兄ちゃんの写真には気づかれへんやろ」
「ありがとう」
「かめへんかめへん。後で利子つけて返してくれたらエエ。
そんだけ大事にできる兄ちゃんがおって羨ましいわ。
わたしにも兄ちゃんはおるけど、不細工でオタクやしなぁ。
うちの兄ちゃんと交換してくれへんか?」
「嫌」
「……そんなマジな顔して言うことないやろ。冗談やのに」
「ごめんなさい」
「せやけどアンタも兄ちゃんには感謝したほうがエエで」
「うん。感謝してる」
「……ホンマにわかってるん?
さっきアンタ、無視されてるのに気がつかへんかったって言うたやろ。
普通やったらもっとわかりやすくいじめられてるで」
「どういうこと?」
「これはわたしの想像やけどな。
アンタの兄ちゃんは友達が仰山おったやろ。
兄ちゃんが可愛がってるアンタに手ぇ出したら、
どこから仕返しされるかわからへんからな。
わかりやすい嫌がらせをされへんかったんやと思うで」
「そうだったの……」
わたしは改めてお兄ちゃんに感謝しました。
「まぁ、アンタのその雰囲気のせいもあるやろけどな」
「雰囲気って?」
「アンタの兄ちゃんは、一緒におるだけでその場を暖かくするいう話や。
アンタは反対に、周りが緊張して凍りつくもんなぁ。
正反対やけど、独特の雰囲気持ってるいうところは兄妹やなあ思うわ」
「……なんだかしみじみと、酷いこと言ってない?」
「怒らんとき。ホンマのことやん。
そのおかげでいじめられへんかったんやから、良かったやん」
「でも……だったらどうして、UとVは緊張してないの?」
「わたしは人の雰囲気に左右されるほど軟弱やあれへん。
Vは……この子はいつもアッチの世界に片足突っ込んでるからなぁ」
「Uちゃん、それどーゆー意味ー?」
黙って話を聞いていたVが、緊張感の欠片もない抗議の声を上げました。
笑うUを見ながらわたしは内心、Uは我が強くて、
Vはペースが常人と違うのではないかと思いましたが、
この場では2人の変人ぶりを指摘しないほうが安全そうでした。
分かれ道を行ったり来たりしながら話し込んでいるうちに、
だいぶ遅い時間になっていました。
「ねぇ。もう足が疲れちゃったー。家においでよー?
お菓子があるよー?」
すごい早業で、Uが伸び上がるようにしてVの頭をポカリとしました。
「いたいー。どうしてなぐるのー?」
「アホかアンタは。
痛くするように叩いたんやから痛いのは当たり前や。
そんな言い方されたらお菓子目当てで行くみたいやないか。
わたしらはそんな意地汚くないで」
「うー。ごめんなさーい」
「まぁ、お菓子が出たらそのときは遠慮のう頂くけどな」
わたしは唖然として、見ているだけでした。