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わたしは出入り口の戸を引いて、声を掛けました。
「入ってきて」
R君がおどおどしながら入ってきました。
「これだけじゃ、風邪引くかもしれない。
R君のジャージを貸して」
「あ、でも……汚いから」
「風邪を引くよりマシ」
R君のジャージはサイズが大きすぎましたが、仕方がありません。
わたしはジャージの上に、コートを羽織りました。
「もう一度水を汲んできてくれる?
バケツに半分ぐらいで良いから」
R君が水を汲みに行っているあいだに、濡れた床を乾いた雑巾で拭きました。
雑巾を絞るのは、R君に任せました。
絞られて流れ落ちる水を見て、さすがに男子は力が強い、と思いました。
すっかり掃除が終わって、わたしは言いました。
「帰りましょう」
帰り道はいつものように無言でしたが、わたしは気にしていませんでした。
家に帰って、わたしはお兄ちゃんに手紙を書きました。
疲れやすくて休みがちだけど、相変わらずテストでは満点を取ったこと。
退院してから少し体重が増えたこと。責任感の強い男子が手伝ってくれるけど、
ドジばかりでかえって手間が増えていること……。
数日経った夜、お兄ちゃんから電話が掛かってきました。
「○○、手紙読んだぞ。
元気になって良かったな」
「うん! お兄ちゃんも、勉強頑張ってる?」
「んー、まあ、ぼちぼちな。
ところで、クラスの親切な男子、って、なんて名前だっけ?」
「R君?」
「前から親しいのか?」
「退院するまで、口利いたことなかった」
「どんなヤツなんだ?」
「どんな……って、今でもあんまり喋らないから、わからない」
「そうか? 友達なんだろ?」
「友達……?
友達だったら、いろいろお話するでしょ?
R君は、先生に頼まれてわたしの面倒見てるだけだと思う」
「ふーん……ドジだって書いてあったけど、おっちょこちょいなのか?」
「うーん。そんなことないと思う。普段は無口で大人しいし」
「そっか……。
そういや、もうじきクリスマスだな」
去年のクリスマスは、お兄ちゃんが起こした事件のせいで、
祝うこともなく過ぎて行きました。
「今年はちゃんとプレゼント贈るから、楽しみにしてろよ」
「ホント?」
「ケーキは買うのか?」
「わたしひとりじゃ食べきれないから、買わない」
「そうかそうか。じゃ、またな」
短い電話が終わってからもしばらく、わたしはしあわせに浸っていました。
でも、我に返ると、わたしがお兄ちゃんに贈るプレゼントがありません。
お兄ちゃんは何を貰うと喜ぶのだろう、と真剣に悩みました。
翌朝、校門のところで偶然、R君と出会いました。
「R君、おはよう」
「あ、××さん、おはよう」
わたしが初めて自分から挨拶したせいか、R君は驚いているようでした。
「相談が、あるの……ちょっと良い?」
「う、うん」
人目に付かない校舎の陰に入って、わたしはずばり尋ねました。
「クリスマスプレゼントに、どんな物を貰うと嬉しい?」
「え? あ、うーん……」
いきなりすぎたのか、R君は考え込んだ末、ぼそぼそと答えました。
「心のこもったプレゼントなら、何でも嬉しいけど……」
わたしは、まったく参考にならない意見に、がっかりしました。
「そう……わかった」
わたしはさっさと教室に向かいました。
授業中もわたしは、プレゼントのことばかり考えていました。
突然、天啓が閃きました。
そうだ、わたしもお兄ちゃんの心がこもっていれば、何でも嬉しい。
だったら、わたしの心を込めて贈り物を作れば良い。
わたしは編み物はできませんでしたが、刺繍ならやったことがありました。
早速、ノートに下絵を描きました。
作るのは、枕カバーです。
絵柄は、月と星の輝く夜空の下、葉を茂らせた大きな木の前に立つ、
お兄ちゃんのとわたしにしました。
次の日曜日に刺繍糸を買いに行き、それから毎日、学校でも暇さえあれば、
刺繍にいそしみました。
クリスマスイブの直前、カードを添えて枕カバーを送るのと入れ違いに、
お兄ちゃんからのプレゼントが届きました。
レーズン、プルーン、チェリーなど、ドライフルーツをたっぷり使って
焼き上げたフルーツケーキでした。
同封のカードには「イブの夜7時に電話の前にいること」と書いてありました。