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そのときわたしは、高い所から自分の体を見下ろしているような気がしました。
自分の口から出る声が、遠い他人の声に聞こえました。

「……お兄ちゃん」

「すまん……」

「いいの。気にしないで」

どうして……どうしてこんな、なにげない声で返事ができるのか、
わたしは自分の声に唖然としました。

証拠は明白でした。お兄ちゃんは、わたしを忌避していました。
1つ1つは取るに足りないことでも、一連のパターンとして見れば、
答えは大書きされています。

わたしは受話器を置いて、ゼンマイの切れた人形のように、
その場で息を詰めました。
肺の中の空気がゼリーのようで、吐くことも吸うこともできませんでした。

気を落ち着けるために、なにかしなければなりませんでした。
わたしは息を切らせながら、読む本を探しました。

借りてきた本も買ってきた本も、すべて読み尽くしていました。
わたしは新聞を広げて、隅から隅まで目を通しました。

とある記事が目につきました。
なんということのない、小さな記事でした。

赤ん坊が、親に放置されて亡くなった……いつものわたしなら、
かすかな胸の痛みを覚えるだけで、すぐに忘れてしまったでしょう。

ところがこの時ばかりは、心臓を貫かれるような、鋭い衝撃がありました。
肺を握りつぶされたみたいに、息が苦しくて、肩が震えました。

洗面所で両手をついてえずいても、胃液しか出てきません。
これはただの神経症の発作にすぎない……と理性ではわかっていました。

でも、荒れ狂う夜の海のような心が静まるまで、わたしはただ、
自分の体を固く抱きしめて、永遠に等しい1時間を、やり過ごすだけでした。

わたしがようやく自由な呼吸と思考を取り戻した時、
わたしの顔は涙に濡れていました。

こんなことではいけない、と思いました。
わたしは冷や汗でべとべとする服を着替え、ノートを取り出しました。

新しいノートの1ページ目に、わたしは大きく書きました。
お兄ちゃんに会いに行く、と。

お兄ちゃんに直接会って、お兄ちゃんの真意を確かめなくては……
そう思いました。

勝手な想像は、不安しか生みません。わたしは覚悟を決めました。
どんな答えが待っていても、最悪の想像よりは受け入れやすいはずです。

クリスマスイブが近づいたある日、日曜学校が終わって、Vが言いました。

「ねーねー。今年はお兄さんといっしょに、
 クリスマスパーティーに来てくれるでしょー?」

「……それは無理」

「えーどうしてー?」

期待か外れて、Vの表情が絶望的になりました。

「今年は、わたしが田舎に帰るから。
 冬休みに入ったら、次に会うのは新学期だと思う」

渋い顔のVをさしおいて、代わりにUが答えました。

「そうかー。それやったらしゃあないな。
 せやけどアンタ、最近体の調子悪いんと違うの?
 無理したらアカンで」

「うん。だいじょうぶ」

「アンタの『だいじょうぶ』はアテにならんからなー。
 言うてもどうせ聞かんやろけど」

そう言って、Uは苦笑いしました。

「兄ちゃんに、わたしらからもよろしくな」

「うん」

わたしはうなずきました。
わたしが1人で田舎に帰ることを知っているのは、UとVの2人だけでした。

クリスマスイブを目の前にして、わたしは黙々と荷造りをしました。
クリスマスプレゼントの代わりに、一通の手紙をしたためました。
お兄ちゃんの前では、緊張してなにも言えなくなるかもしれない、
と思ったからです。

クリスマスイブの当日、わたしは朝早くに起きました。
コートとマフラーで身を固め、Vの家に泊まりに行く、という書き置きを残して、
わたしは2回目の旅に出ました。

2年前と同じコースを辿ったので、迷うことはありませんでした。
電車や飛行機の中で、わたしは窓ばかりぼんやりと眺めていました。

お兄ちゃんのことばかり考えていたような気もしますし、
なにも考えていなかったような気もします。

最寄り駅に着いて、わたしはあることに気がつきました。
突然わたしが訪れて、お兄ちゃんが留守だったら、なんにもなりません。
わたしは駅の公衆電話から、田舎の家に電話をかけました。

「もしもし?」

「ん……○○か? プレゼント届いたのか?」

「違う。わたしが届くの」

「はぁ?」

「お兄ちゃん、今夜は予定ある?」

「ああ、知り合いのパーティーに……って待て。
 お前どこから電話してるんだ?」

わたしが公衆電話からかけているのが、騒音からわかったようでした。


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