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わたしは横からお兄ちゃんの胸に抱きつきました。
脇の下に顔をうずめて、腕に力を込めました。

「おい○○、これじゃ動けないよ」

抗議の声を無視して、お兄ちゃんの太股に足を絡めました。

「どうしたんだ? ホントに……」

お兄ちゃんはわたしの頭を抱えるようにして、髪を撫でました。

「つらいことでもあったのか?」

なかなか、言葉が出てきませんでした。
自分の行いはひどく子供じみている、と自覚できました。

「お兄ちゃん……」

「なんだ?」

「お兄ちゃんは、わたしを避けてるね」

わたしの断定を聞いて、お兄ちゃんの体が、びくりと震えたようでした。

「……そんなこと、あるわけないだろう?」

「うそ。お兄ちゃんは、わたしを避けてる。
 春休みに帰ってこなかった。冬休みにも帰ってこない……」

「それは……夏休みには、いっしょにツーリングに行ったじゃないか」

わたしは思いました……お兄ちゃんは、誤魔化そうとしている。

「うん。あれは楽しかった、とっても」

「だったら、なんでそんなこと言うんだ……?」

「でも、わかっちゃった……。
 お兄ちゃんが、わたしと目を合わせなくなったのが。
 気づかなければ良かった。
 でも、わかるよ。わたしはいつも、お兄ちゃんを見てたんだから」

自分で口にした事実が、改めてわたしを打ちのめしました。
目の奥が熱くなってきました。涙があふれそうでした。

いま泣いてはいけない、と思いました。
涙を見せたら、きっとお兄ちゃんは抱きしめてくれる……
でもそれは、一時しのぎにしかならないのです。

動悸が激しくなってきて、呼吸をするのがやっとでした。
口を動かすのに、大変な努力が要りました。

噛みちぎるように、一語一語区切って、口にしました。

「お兄ちゃん……手紙……読んで」

薄暗い灯りの下で、お兄ちゃんが便箋を広げました。
短い手紙でした。

『愛しています。
 わたしはお兄ちゃんのものです。
 何でもしますから、離れて行かないでください。
                          ○○』

1行目はわたしの気持ち、2行目はわたしの決意、
3行目はわたしの願いを表していました。

手紙を読んで、お兄ちゃんの息が止まるのがわかりました。
お兄ちゃんは便箋に目を据えたまま、ぴくりとも動きませんでした。

ぞくぞくと、背筋に寒気が走りました。
力いっぱいお兄ちゃんにしがみついているはずなのに、
手に力が入っているかどうか、わたしにはわかりませんでした。

「お前……これは……」

お兄ちゃんがため息のように、つぶやきを漏らしました。
寝惚けているときのような、頼りない声でした。

「気持ち、悪い?」

「いや……そんなことは……」

「正直に、言って。本当の、ことを。兄妹なのに、異常、だよね?
 わかってる。そんなこと、わかってる。
 だから、どう思われたって、仕方がない……」

言葉が次々と、ひとりでに喉の奥から飛び出してきました。
苦しくても、言い終えるまで、止めることはできませんでした。
お兄ちゃんは遮ろうとせず、黙って聞いていました。

「……お兄ちゃんが、嫌だ、って言ったら、わたしは、泣くと思う。
 泣いても、優しくしないで。同情は、うれしくないから。
 お兄ちゃんの、本当の気持ちが、知りたい……」

わたしは、最悪の答えを覚悟していました。
涙が滲んできました。

お兄ちゃんが、またわたしの頭を抱き寄せて、撫でました。
独り言のような、真剣な声がしました。

「俺たちは……兄妹だよな」

「うん」

予想が現実になったと思って、目の前が真っ暗になりました。

「いくら好きでも、結婚はできないんだぞ?」

「結婚なんて、したいと思ったこと、無い」

本心でした。両親を見ていたら、結婚に幻想など持てません。

「子供も作れないぞ? 奇形児が産まれるかもしれない」

「子供なんて、欲しくない」

自分が子供だった頃が、わたしには思い出せません。
なにか別の種類の生き物のように思えました。

「誰にも言えなくて、寂しくないか?」

「秘密にする。誰にも言わない」

お兄ちゃんがほーっとため息をつきました。

「俺は……人を本当に好きになるってことがどういうことなのか、
 よくわからないんだ。
 付き合った彼女は大勢いるけど……。
 それでも……○○、お前のことは……好きだ」

夢を見ているのか、と思いました。
たった今、死んでも良い、そう思えるほどの幸福感でした。


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