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「…………」
なかなか、言葉が出てきません。
「もしもし……? 何かあったの?」
わたしは意を決して、声を出しました。
「……お兄ちゃんの事で、お話があります」
わたしの声音の真剣さを感じ取って、Cさんの口調から柔らかさが消えました。
「いいよ。聞かせて」
お兄ちゃんの秘密を話す事に、しばらく躊躇ってから、わたしは口を切りました。
「……お兄ちゃんが、夜中に外に出かけているって、知ってますか?」
もしかしたら、Cさんと会っているのかもしれない、と思った事もありましたが、
夜の散歩の時の、お兄ちゃんの暗い瞳を見てしまってからは、
そうは思えなくなっていました。
「え? ××クンが……?」
意外そうな声でした。
「はい。いつからだったかは、分かりません。
でも、最近は毎晩みたいに。
お兄ちゃん、家でお父さんと上手く行ってないんです。
だから、もやもやが溜まっているんだと思います」
「……そう、だったの」
わたしは考えていた事を、一気に捲し立てました。
こんなに必死に、他人に何かを訴えたのは、これが初めてだったと思います。
「お兄ちゃん、前みたいに笑ってますけど、
でも、前と違うんです。なんだかとても、辛そうです。
……でも、わたしじゃ駄目なんです。
わたしじゃなんにも、お兄ちゃんにしてあげられない。
だからCさん。
お兄ちゃんを助けてあげて下さい!
お願いします」
「…………」
重苦しい沈黙が流れました。
しばらくしてCさんの、少し震えた声が聞こえて来ました。
「ごめんなさい。わたし、なんにも気付かなかった。
毎日学校で話したり、一緒に帰ったりしてたのにね……。
××クン、いっつも笑ってたし、すっごく優しくしてくれて。
わたしが家の事で悩んでいるって言ったら、
嫌がりもせずにずっと話を聞いてくれて……。
でも、そういえば、××クン、自分のコト、
なんにも話してくれなかった……。
わたしに心配かけないようにしてくれてたんだね。
……馬鹿だな。あたしって。
彼女失格だな。
ねえ○○ちゃん、あたし、どうしたらいいと思う?」
最後の方は、涙声になっていました。
わたしは、呆気に取られました。
決死の気持ちで、一番大人っぽいと思っていたCさんに相談したのに、
まさかそのCさんから、逆に相談を持ち掛けられるとは思ってもいませんでした。
わたしが沈黙を守っていると、再びCさんの声がしました。
「ごめんなさい。こんなコト、あなたに聞いても無理だよね。
あたし、どうかしてるみたい。
……うん、頑張ってみる。
上手く行くかどうか分からないけど、
××クンにそれとなく聞いてみる。
わたしで力になれるコトだったら、なんでもするから。
ホントにありがと、○○ちゃん、教えてくれて」
「はい、お兄ちゃんを、よろしくお願いします」
わたしは受話器を持ったまま、深々とお辞儀しました。
受話器を置くと、固く握り締めた手のひらの汗で、べとべとになっていました。
それから数日は、わたしが秘密を明かした事が、お兄ちゃんにばれるんじゃないか、
と気になって、お兄ちゃんの顔をちらちら窺いました。
お兄ちゃんに、特に変わった素振りは見られませんでした。
わたしには、お兄ちゃんとCさんの話し合いが、どうなったのか分からず、
密かに胸を焦がすしかありませんでした。
表面上は何事も起こらないまま、一日一日と過ぎて行きました。
わたしはお兄ちゃんに料理を教わって、お兄ちゃんには及ばないものの、
焼き魚や卵焼きやおみそ汁、簡単なサラダぐらいは作れるようになっていました。
お兄ちゃんはもう、家の中ではわたしとしか、話をしなくなっていました。
休みの日に、お兄ちゃんと出歩く事は少なくなりましたが、
駅に向かう路線のバス停へ、お兄ちゃんと肩を並べて、
白い息を吐きながら歩いた時、この平穏さが、いつまでも続けばいい、
と祈りました。
でも、時折ふいに胸騒ぎが襲ってくるのは、避けられませんでした。
心の何処かで、自分の祈りが叶えられない事を、予感していたのかもしれません。
そして明日から冬休みに入るという夜、わたしの願いは、唐突に断ち切られました。
真夜中に、電話の着信音が鳴り響きました。
わたしは飛び起きて、電話機に向かいました。
心の中で「来た!」という声がしました。
どきどきしならが受話器を取り上げると、その向こうから、
嗄れた男の人の声がしました。
警察の人でした。