215:



「変かどうかは、わたしにはよくわかりません。
 わたしも、変だって人に言われますから」

でも、先輩の考え方は、あまりにも淋しいと思いました。

「……別れた後、思い出してもらえないのは、淋しくないですか?」

「はっ、どうせその時は自分は居なくなってる。淋しいもなにもないさ。
 それより、悲しまれるほうがよっぽど辛いよ」

「……その時、自分が居なくなってるとしたら、
 辛いとも感じないんじゃないですか?」

「うぅむ……それもそうか。
 でもなぁ。泣かれるよりは忘れられたほうがマシだよ。
 付き合いが深くなけりゃ、どうせすぐに忘れるしな」

先輩はまたごろりと寝ころんで、目蓋を閉じました。

そういえば、わたしと先輩がお互いに知っていることは、ごくわずかでした。
電話番号はもちろん、住んでいる場所も、家族も、夢も知りません。
知っているのは、名札に書いてある苗字、学年とクラスぐらいのものです。

先輩は自分のことを何一つ語らず、わたしのことを詮索もしませんでした。
恋愛が話題に上ることは、一度もありませんでした。

奇跡的にわたしと先輩の逢瀬が噂にならなかったのは、
誰かが端で見ていても、付き合っているようには見えなかったせいでしょう。

先輩はいつもそっぽを向いていましたし、
わたしから2メートル以内には、近づこうともしませんでした。

わたしがUにもVにも、なぜか先輩のことを話さなかったのは、
グラウンドの日溜まりに居る時に限って、
先輩との関係が存在するような気がしたせいかもしれません。

別の日、わたしは読んだばかりの本の話をしました。
リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』の話です。

「ふぅん。すると、人間は遺伝子の乗り物に過ぎない、ってこと?」

「人間を含めたすべての生き物は、です」

「じゃあ、人間がなにをしようと、遺伝子の思惑通りってわけだ」

「遺伝子に『思惑』という概念はないんです。
 ただ、適応した遺伝子が生き残るだけです。
 でも、遺伝子に思惑があってもなくても、
 人間がその思惑に乗せられる必要はないと思います」

「遺伝子に操られているんなら、なにをしても無意味じゃないの?
 人間に自由意志が無いんだったらさ。
 それとも自由意思が存在する、って君、証明できる?」

「ややこしそうなので、証明はできません。
 でも……証明できなくても、自由意思を信じたほうが賢明です」

「わかんないな……?」

「4通りの可能性があります。
 仮に自由意思が存在しないと考えて、実際に存在していなかった場合。
 予想が当たっても、得る物はなにもありません。
 仮に自由意思が存在しないと考えて、実は存在していた場合。
 存在しないと予想して、自由意思を使っていないので、
 なにも得られません。
 仮に自由意思が存在すると考えて、実は存在していなかった場合。
 予想が外れたわけですけど、ダメでもともとです。
 仮に自由意思が存在すると考えて、実際に存在していた場合。
 賭けに勝ちます。
 自由意思が存在しないほうに賭けても、100%負けです。
 存在するほうに賭ければ、五分五分です。
 それなら、存在するほうに賭けたほうが賢明でしょう?
 どうせ存在するかどうかなんて、最後まで気づかないでしょうけど」

先輩はわたしが言い終わるまで、眠ったように静かに聞いていました。

「ふぅむ……なるほどね。面白い。
 君、そういうことだとよくしゃべるんだな」

なにが面白いのか、先輩は歯を見せて笑いました。
先輩がわたしに笑顔を見せたのは、これが最初で最後でした。

次の週、先輩はグラウンドにやってきませんでした。その次の週も。
寒くなったので来るのをやめたのか、それとも学校に来ていないのか……
もしかして入院したのか、わたしには知るすべがありませんでした。

友人でも彼女でもなく、知り合いとさえ言えるかどうかわからない、
微妙な関係のわたしには、先輩のクラスに行って尋ねる資格もありません。
現実を確定するのが、恐かっただけなのかもしれませんけど。

わたしはセーターとコートとカイロで武装して、いつもの木の下に陣取り、
先輩がいつも寝転がっていた芝生を眺めながら、つぶやきました。

「先輩は、間違ってましたね……。
 人が人に関わらずにいるなんて、ムリです。
 なんにも知らされなかったのが、余計に悲しいですよ?」

わたしは風変わりな先輩に、恋をしていたわけではありません。
でも、どこか心惹かれていたのは確かでした。

わたしの瞳は、乾いていました。
泣くための材料すら与えられないのは、残酷だと思いました。


残り127文字