89:


まず、打ち込んだ文書をフロッピーから読み出して印字します。
綺麗に印字した紙の余白に、カット集から適当なイラストをコピーして
貼り付け、謄写版印刷機にセットして製版し、上質紙に印刷します。

印刷機は、製版から印刷まで自動化されているので、
インクや紙が切れたり、紙詰まりを起こさない限り、手は汚れません。
全部印刷し終わったら、二つ折りにして表紙を付け、ホチキスで
綴じればおしまいです。

トラブルは、最後の1枚を印字する時に起こりました。
R君が、フロッピーから呼び出すはずの文書を、どこをどう間違ったのか、
消してしまったのです。

見開きに収まる4人分の原稿を、もう一度入力し直さなければなりません。
予定の時間より遅くなることが確実になって、アルバム委員2人の顔が、
露骨にしかめられました。

「俺、塾があるんだ。R、お前の責任だから、残ってちゃんとやっとけよ」

「わたしも」

2人は、そう言い残して帰ってしまいました。
狭い印刷室に、わたしとR君の2人きりになりました。

R君の顔を見ると、恥ずかしさのせいか真っ赤になって、泣き出しそうです。
わたしは、顔を伏せたままのR君に顔を寄せ、囁きかけました。

「R君。じっとしてないで、しましょ」

R君が顔を上げました。

「え? ××さん、手伝ってくれるの?」

「わたしもアルバム委員よ。
 それに、もともとR君に手伝ってもらってるのはわたし。
 2人でやれば、それだけ早く終わるでしょ?」

「あ、あ、ありがとう」

R君は、本当に泣き出してしまいました。
わたしは何と言っていいかわからず、とりあえずハンカチを渡しました。

しばらくしてR君が落ち着いてから、交替しながら原稿を打ち込みました。
手の空いているほうが、肩越しに画面を覗き、誤字をチェックします。
前に同じ原稿を入力して要領を掴んでいたので、時間を短縮できました。

印字してしまうと、それから印刷を終えるまではすぐでした。
一番時間が掛かったのは、紙を二つ折りにしてホチキスで綴じる作業です。

わたしはうっかりして、紙の縁で左手の人差し指を切ってしまいました。
さっくり切れたので、痛みはなかったのですが、血が盛り上がってきました。

「××さん、だいじょうぶ!?」

血が滴らないように、わたしは指を口に含み、鞄からポーチを取り出しました。
ポーチの中には、針と糸とハサミ、薬、バンドエイドが入っています。

「R君。悪いけど、絆創膏を指に巻いてくれない?」

ポーチを渡すと、R君はバンドエイドを取り出し、傷口に巻いてくれました。

製本が終わって、文集を職員室の担任の机に載せ、廊下に出ました。
なんとか、下校時刻までに終わらせることができました。

わたしがコートを着てマフラーを巻いていると、
R君が珍しく話しかけてきました。

「もうすぐ、卒業式だね」

「そうね」

「中学生になったら、僕らも変わるのかなあ?」

「……なってみないと、わからないと思う」

「それもそうだね」

卒業すること自体に、特別な感慨はありませんでした。
中学生になるというのがどういうことか、まだ実感が湧きません。
それよりも、春休みになってお兄ちゃんが帰省することのほうが、重要でした。

卒業式は、体育館が寒くて、椅子にじっと座っていると凍えそうでした。
ひとりひとりに、校長先生から卒業証書が手渡されました。
わたしは、ああ、今日で最後なんだなあ、と人ごとのように思いながら、
順番を待ちました。

体育館を出るとき、R君に呼び止められました。

「××さん……」

「なに?」

「放課後、校舎裏の木の下に来て」

R君はそれだけ口にして、早足で立ち去りました。

教室に戻って、最後のホームルームが始まりました。
担任の先生のお話に、涙ぐむ女子も居ました。

わたしは、R君がわざわざわたしを呼び出す理由を考えました。
今思うと信じられない話ですが、自分に自信を持てなかった当時のわたしは、
R君の気持ちにまったく見当が付きませんでした。

ホームルームが終わって、教室では別れを惜しむ人の輪がいくつも出来ました。
どうせ春休みが終われば中学で再会するのに、何がそんなに悲しいのだろう、
とわたしは思いました。

見回すと、R君の姿はすでに教室から消えていました。
女子に取り囲まれた担任に、遠くから会釈して、わたしはひとり教室を出ました。

校舎の裏には、植樹した細い木とは別に、一抱えほどもある大木が生えています。
その下に、R君が立っていました。

わたしは真っ直ぐ歩み寄り、手を伸ばせば届く距離まで近づきました。
R君の目を覗き込んで、わたしは尋ねました。

「なぁに?」

R君は棒でも呑んだかのように硬直して、口をぱくぱくさせました。
そのまま、沈黙の時が流れました。
不審さはますます募りましたが、真剣な様子のR君を急かす気にもならず、
わたしはじっと待ちました。

数分間同じ体勢を続けた挙げ句、ようやくR君が口を開きました。

「ぼぼぼぼくは……」


残り127文字