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足が萎えるといけないので、部屋の中でだけ歩いてもよいことになりました。
でも、いやじゃ姫とは会話が成り立ちません。
年の近い腎臓病の3人とも、上手く話せませんでした。
わたしはどうも、同い年や年下と話すのが苦手だったようです。
話し相手になったのは、病室によく遊びに来たQさんのような看護学生、
いやじゃ姫のお母さん、それに窓際の肝炎のお兄さんだけでした。
肝炎のお兄さんと初めて口を利いたのは、外の夜景を見るために、
わたしが窓際に行った時のことです。
お兄さんは、ベッドの背もたれに寄りかかって、外を眺めていました。
わたしは、お兄さんが何を見ているのか気になって、尋ねました。
「お兄さん。なに、見てるんですか?」
わたしが顔を見つめると、お兄さんは黙ってこちらを向きました。
お兄さんの視線を受けて、わたしは息が止まりました。
冬の湖面のような、どこまでも静かで底の見えない瞳でした。
わたしの顔を見ているはずなのに、遥かずっと遠くを見ているようでした。
「……過去と、今と、未来」
「?」
お兄さんのつぶやきが、質問への答えだとはしばらく気づきませんでした。
それでも、言葉の響きが、なぜだかわたしの胸を打ちました。
「キミも、そのうちわかる。
いや、わからないほうがいいかもしれない」
お兄さんは、血色の悪い顔で、にっこりしました。
微笑んでもどこか陰のあるその表情が、忘れられません。
わたしは、要領を掴めないまま、夜景に目をやりました。
眼下に、星空を翳らせるような、街の灯りが広がっていました。
新しい薬が出ましたが、検査結果はなかなか良くなりませんでした。
その週が終わりに近づいたある午後、窓にもたれていたわたしに、
肝炎のお兄さんが声を掛けました。
「○○ちゃんは、入院するのは初めて?」
わたしは、振り返って答えました。
「はい。お兄さんは?」
「僕も初めてだ。こんなに時間を持てあますとは思わなかった」
いつも静かに寝ているお兄さんが、退屈しているとは意外でした。
「○○ちゃんは、何を考える?」
漠然とした質問に、わたしは考え込みました。
「……早く、元気になりたいな、って思います。
田舎のお兄ちゃんに、会いに行きたいです」
「そう……。早く、退院できると良いね」
「はい。お兄さんも」
週末に、担任の先生がお見舞いに来ました。
手に花束と、千羽鶴を持っていました。
「××さん。これ、クラスのみんなから。
班ごとに交替で、お見舞いに来ることになったわ。
注意してあるけど、騒ぐようだったら言ってね」
「ありがとうございます」
わたしはお礼を言ったものの、つきあいの無かったクラスメイトたちからの、
お見舞いの品にとまどいました。
「欠席しているあいだにだいぶ授業が進んだから、退院してからが心配ね。
今日お医者さんと相談してOKが出たら、明日にでもプリント持ってくるわ」
そういえば、入院してからまったく勉強していませんでした。
サイドテーブルには、漫画雑誌と文庫本が積まれていました。
先生が帰った後、クラスメイトが6人やってきました。
困ったことに、男子の顔は覚えていても、名前が出てきません。
挨拶しても、みんな居心地が悪そうでした。
「××さん、まだ退院できないの?」
「まだ、予定が立ってない」
会話が途切れると、どうしていいのかわからなくなりました。
クラスメイトたちは、椅子に座って漫画雑誌を読み始めました。