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心臓病の先輩のことを話すべきか、わたしは迷いました。
せっかく雰囲気が明るくなってきたのに、また暗くなる気がしたのです。

でも、あの先輩の声が記憶から薄れる前に、話したい気持ちが勝ちました。
胸の奥のざわめきを、静めたかったのかもしれません。

「お兄ちゃん、それでね、も1つあるんだ、想い出」

「ん、なんだ?」

「2学期に話すようになった、男子の先輩のこと」

「cのことか?」

「cさんとは、一度パフェを食べに行っただけ」

「なにぃ? cのヤツ……お前、なにかされなかっただろうな?」

お兄ちゃんが目を、一杯に見開きました。
お兄ちゃんがうろたえるのを見ると、なぜか心が躍りました。

「なんにもされてないよ。わたしから誘ったんだし」

「お前が誘った? お前、cみたいなのが好みなのか?」

お兄ちゃんは、信じられないものを見たような顔になりました。

「そうじゃなくて。いろいろお世話になったから、
 UやYさんといっしょに喫茶店でおごっただけ。
 cさんは、わたしとは世界が違う、って言ってた」

「そっか……良かった」

お兄ちゃんはホッとしたのか、椅子に背中を預けてぐったりしました。

「なにが良いの? cさん、お兄ちゃんの後輩なんでしょ?」

「いや……あいつ、女に手が早いから」

「信用できない人に、わたしのことを頼んだの?」

「まさか、あいつもお前にだけは手を出さないと思ってな」

お子様扱いされているようで、カチンときました。

「……それは、わたしが女じゃない、って意味?」

「いやその……そういう意味じゃなくてだな……」

お兄ちゃんの声が、ごにょごにょと小さくなりました。

「まぁ、良い。話がすっかり脱線してるし」

わたしは姿勢を正して、心臓病の先輩の話を始めました。
聞いているうちに、お兄ちゃんの表情も真面目になりました。

「しかし……単に学校を休んでるだけかもしれないだろ?」

「そうかもしれない……けど、なんとなく、もう会えないと思う」

特に理由はなかったのですが、そういう確信がありました。
お兄ちゃんは、真剣な口調で、身を乗り出して尋ねてきました。

「お前、その先輩のことが、好きだったのか?」

息の詰まるような、時が流れました。でも、不快ではありませんでした。
わたしはしばらく顔を伏せて、考えて、答えました。

「……よく、わからない。深く知り合ってたわけじゃないし。
 好きだとか、愛してる、というのとは、違うと思う。
 ただなんとなく胸がもやもやして、ちくっとするだけ」

わたしは独り言のように、いやじゃ姫の話、肝炎のお兄さんの話をしました。
お兄ちゃんは静かに、最後まで黙って聞いていました。

「そうか……お前もいろいろ考えてるんだな……。
 だけど、もやもやするんだったら、言葉にしてしまったほうが、
 楽になるんじゃないか?」

「そうかもしれない。
 でも、1つの言葉にしてしまったら、収まりがよくなって、
 心の奥のほうに沈んでいっちゃう。
 いつかは忘れてしまうかもしれないけど、今は、忘れたくない。
 忘れちゃいけない、と思う」

「……お前も、大人になったな。俺よりも大人だ」

お兄ちゃんが、ぽつりと、感慨深げにつぶやきました。
わたしの目には、その笑みがどことなく寂しげに見えました。

「そんなことないよ。お兄ちゃん、ずっと昔から大人だったじゃない」

「ん……そうだといいけどな……。
 しかし、やっぱり2人でケーキ2つは多すぎたかな」

お兄ちゃんは、いきなり話題を変えました。
なにか、話したくて、話せないことがあるのか、と思いましたけど、
無理に問いただすことはできませんでした。

「うん……美味しいけど、もうお腹一杯。
 ラップしておいて、明日また食べようか。紅茶でも飲む?」

「いいね。できたら、ブランデーを垂らしてくれると美味しいんだけど」

「どれぐらい?」

「たっぷり」

「ちょっぴりね」

わたしが紅茶を淹れに台所に立つと、チャイムがぴんぽーん、と鳴りました。
エプロン姿でドアを開けると、「メリークリスマス!」。UとVでした。

「……メリークリスマス。
 U、V、パーティーがあったんじゃないの?」

「途中で抜け出してきたんや。
 アンタの兄ちゃんの顔見ようと思ってな」

「お兄さん……


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