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帰りの道々、UとVに倉庫裏での出来事を話して聞かせました。
一通り事情がわかると、2人とも不審そうな顔になりました。

「bんコトがようわからへんようになってきたわ……。
 ふだんクラスでしゃべってる時は、そんな強引な感じやないけどな?」

「…………」

「で、これからどないするつもりやのん?」

「……わからない」

「うーん、しばらく様子見るか?」

正直なところ、わたしにはどうしたら良いのかわかりませんでした。

帰宅してベッドで天井をぼんやりとながめながら、
お兄ちゃんに手紙を書いて相談しようか、とも思いましたが、
どうにも考えがまとまりません。

今思うと、お兄ちゃんに相談して「試しに付き合ったらどうだ」
と言われるのを、心のどこかで怖れていたような気がします。

鬱々とした一夜が明け、いつもの時刻にわたしは玄関に出ました。
放課後はたいていUやVといっしょに下校していましたが、
朝は3人それぞれ別々に登校するのが常でした。

学校への道を歩きながら、人通りの少ないあいだに限って、
読みかけの文庫本を開くのが、わたしの毎朝の日課でした。

門を出て鞄から文庫本を取り出そうとした時、人影に気づきました。
b君が、通りの向こうの電柱にもたれていました。

わたしが驚いて立ち止まると、b君もわたしに気づいた様子で、
こちらに向かって歩いてきました。

「おはよう。○○さん」

「おはようございます……b君、その呼び方……?」

「あ、○○ちゃんのほうが良かった?
 いきなり呼び捨てってのは恥ずかしいしね。
 オレのことは呼び捨てにしてくれていいけどさ」

物理法則が変わってしまったような、得体の知れない不条理を感じて、
足元がふわふわと頼りなくなりました。

わたしが機能を停止していると、b君が先に立って歩き始めました。

「ぼんやりしてると遅刻するよ。行こう」

ずっとその場に立ちつくしているわけにもいきません。
わたしは自然に、b君と肩を並べて登校するはめになりました。

「今日は歩きながら本読まないんだ?」

「え……? 知ってたんですか?」

「まぁ、有名だからね」

b君はくっくっと笑いながら続けました。

「今、どんな本読んでるの?」

「上田敏の訳詩集と、エミリ・ブロンテの『嵐が丘』、
 それに、クラウゼヴィッツの『戦争論』」

「うわ……すごい組み合わせだ。並行して読んでて混乱しない?」

「分野の違う本を読んだほうが、気分転換になります」

「『海潮音』なら読んだことあるよ」

古典を読むクラスメイトが他にいると知って、意外の念に打たれました。

「えっと、こんな詩があったっけ……」

b君が歩きながら、朗々と詩を暗唱し始めました。

「やまのあなたの そらとほく
 さいわひすむと ひとのいふ
 ああわれひとと とめゆきて
 なみださしぐみ かへりきぬ
 やまのあなたに なほとほく
 さいわひすむと ひとのいふ」

上田敏が訳した、カール・ブッセの有名な詩でした。
わたしは反射的に、同じ訳詩集にあった、別の詩人の詩で返していました。

「うみのあなたの はるけきくにへ
 いつもゆめぢの なみまくら
 なみのまくらの なくなくぞ
 こがれあこがれ わたるかな
 うみのあなたの はるけきくにへ」

b君が、驚いた顔をして振り向きました。

「へぇ。予想以上だ。じゃあ、これは?
 ときははる ひはあした
 あしたはしちじ
 かたをかに つゆみちて
 あげひばり なのりいで……」

ブラウニングの有名な詩の途切れた後を引き取って、わたしが続けました。

「かたつむり えだにはひ
 かみそらに しろしめす
 すべてよは こともなし」


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