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麻酔が切れてくると、鼓動に合わせて腰の後ろに鈍痛が走りました。
泣き虫の女の子は、痛い痛いと泣き叫んでいましたが、
わたしに我慢できないほどの痛みではありませんでした。
それでも、その日の夜は、痛みのせいでほとんど眠れませんでした。

術後24時間経って、ようやくわたしは身動きできるようになりました。
やがて、O先生が回診に来ました。

「○○ちゃん。気分はどう?」

「ずっと寝ていたので、背中が痛いです。
 あの……お願いがあるんですけど」

「なに?」

「この部屋で、寝たままおしっこするのは、恥ずかしいです。
 まだ、座ってしちゃ、ダメですか?」

O先生は少し考えて、答えました。

「そうね……出血も無いようだし、
 トイレに行くことを許可します。
 ただし、看護婦のお姉さんに付き添ってもらうこと」

「はい!」

ふつうにトイレでおしっこするのが、こんなに嬉しいとは思いませんでした。

「ただね……言いにくいんだけど……」

「?」

「腎生検ね、完全には上手くいかなかったの」

「……え?」

「こんなことは滅多に無いんだけど……組織が半分しか採れなかった」

「……じゃあ、もしかして……もう1回ですか?」

あの検査をもう1回やり直すなんて、想像しただけでぞっとしました。

「それはたぶん、大丈夫。
 完璧でなくても、ある程度の診断はできます。
 何種類かお薬を試してみて、どれも効かなかったらやり直しね。
 上手く効いたら、数週間で退院できます」

組織が上手く採取できなかったのは、同室の4人のうちわたしだけでした。
どうやらわたしは、運に恵まれていなかったようです。
執行猶予付きの判決が出たような、宙ぶらりんな気分でした。

でも、いつまでも落ち込んではいられません。
いやじゃ姫や泣き虫の女の子が騒ぐ中、
わたしはおしっこがしたくなって、ナースコールのボタンを押しました。

やってきたのはQさんでした。
わたしは自力で車椅子に乗り、Qさんに押してもらってトイレに向かいました。
検尿容器を渡されて、久々に本物の便器にまたがりました。

やっぱり、騒がしい病室でするより、落ち着いてできました。
検尿容器を覗き込んで見るまでは……でしたが。

もう、おしっこの色が赤い、というレベルではありませんでした。
血、そのものでした。わたしがうろたえて、Qさんを呼ぶと、
すぐに病室に運ばれ、今度は看護婦さん二人掛かりでベッドに戻されました。

不用意に動くと大出血するかもしれない、ということで、
わたしは1週間まるまる、ベッドに縛り付けられることになりました。
どうやら、とことん運に見放されていたようです。

身動きができないと、できることも限られます。
気晴らしは、漫画や本を読むことぐらいでした。
手が疲れないように、軽い文庫本を看護婦さんに頼んで買ってきてもらいました。

1週間のうちに、思い出になったのは、食パンを食べたことぐらいです。
泣き虫の女の子のお母さんが、知り合いのパン屋さんに頼んで焼いてもらった、
食塩を一切使っていない山形食パンを、わたしにもお裾分けしてくれました。

退屈そのものの1週間の後、ひとつだけ、重大な問題が残っていました。
おしっこだけは寝たままでも出るようになりましたが、
排便だけはどうしても、仰向けでは腰に力が入らず、できなかったのです。

わたしは1週間続いた便秘で、お腹が張ってきました。
回診の時に、わたしは再びO先生に懇願しました。

「大きいほうのときだけ、トイレに行かせてもらえませんか?」

先生は前より慎重に考えていましたが、結局うなずきました。

「1週間経過を見たけど、もう出血はしないでしょ。
 看護婦のお姉さんに付き添ってもらいなさい」

付き添いは、今度もQさんでした。
前にうろたえたところを見られたのを思い出して、ばつが悪くなりました。


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