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帰り道、Hクンはわたしから少し離れて歩きました。
わたしはお兄ちゃんと手をつないで歩きながら、右足を引きずっていました。
右足の親指と人差し指の股を、履き慣れない下駄の鼻緒で擦り剥いていたのです。
わたしが我慢していると、お兄ちゃんがそれに気付きました。
「○○、お前、右足どうした?」
お兄ちゃんが、わたしの足許にしゃがんで、覗き込みました。
「うわ、血が出てるじゃないか。
なんで早く言わないんだ!」
身をすくめると、お兄ちゃんは立ち上がり、わたしの肩をぽんと叩きました。
「ちょっと待ってろ」
お兄ちゃんは、先に行っているI兄ちゃんに追いついて、何か言いました。
I兄ちゃんたちは、わたしとお兄ちゃんを残して、先に帰って行きました。
お兄ちゃんが戻ってきて、またしゃがみました。
「右足の下駄を脱いで、肩に掴まれ」
わたしが片足で立って、お兄ちゃんの肩に掴まると、お兄ちゃんは、
ポケットからガーゼのハンカチを取り出して、わたしの右足の先を包みました。
お兄ちゃんがガーゼを足首で縛ると、右足だけ足袋を履いたようになりました。
「歩けるか?」
また下駄を履いてみました。
今度は、鼻緒がこすれないので、それほどの痛みではありません。
「だいじょうぶ。
お兄ちゃん、ありがとう」
「ん、じゃ、ちょっと休んでいくか」
お兄ちゃんは、自動販売機で缶ジュースを1本買いました。
少し歩くと、小さな児童公園がありました。
わたしとお兄ちゃんは、ブランコに並んで腰を下ろしました。
「飲むか?」
缶ジュースを開けて、お兄ちゃんが聞いてきました。
「後でいい。先にお兄ちゃん飲んで」
お兄ちゃんは、一口飲んで、空を見上げて言いました。
「星、きれいだな」
見上げると、確かに、いつもより多くの星が見えて、きれいでした。
お兄ちゃんが突然、言いました。
「○○、お前、Hのこと、好きか?」
「うん、お兄ちゃんに似てる」
「そうか……」
お兄ちゃんは、それきり黙り込みました。
わたしがふと、横を向くと、公園の薄明かりで、お兄ちゃんの横顔が見えました。
お兄ちゃんは、今にも泣き出しそうな顔をしていました。
わたしは驚いて、声を上げました。
「お兄ちゃん。どうしたの?」
お兄ちゃんは、しばらく考え込んだ後、口を開きました。
「○○、お前はもう、大人だと思う。
だから、大事な話をしなくちゃいけない。
これから話すことは、お前と俺だけの秘密だ。
聞いてくれるか?」
わたしは、この上なく真剣なお兄ちゃんの声に、息を呑みました。
「……うん。わかった。なに?」
「……何から話したらいいんだろな……。
○○、お前、HとG姉ちゃんを見て、どう思った?」
お兄ちゃんが何を言おうとしているのか、見当も付きませんでした。
「……?
家とは、ぜんぜん違う……って思った」
「俺は前、Hにアルバムを見せてもらった事がある。
○○は、アルバムって何か知ってるか?」
「……写真ばっかりの本でしょ?
わたし、アルバム委員してるから、知ってる」
「…………。
写真を印刷してるんじゃなくて、写真を貼ってあるのが、普通のアルバムだ。
家で、普通のアルバムを見たことあるか?」
「……? 無いけど?」
「お前は知らないだろうけど、俺は友達がたくさんいるから知ってる。
子供が生まれて、写真を撮らない親なんて、居ないんだ。
俺の知ってる限り、アルバムの無い家なんて、俺たちの家だけだ」
「どういう、こと?」
「家にも、アルバムはあったんだ。
でも、あると都合が悪いから、無くしてしまったのさ」