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「お久しぶりです」

「久しぶりね! もう中学生になったのね。腎炎は良くなった?」

「はい。順調です。まだ運動はできませんけど、
 2年生になったら、体育の授業を受けられるようになります」

「良かったね〜。お兄さんは元気?」

「はい……でも、ごめんなさい。お名前を思い出せません。
 『いやじゃ姫』の、お母さんですね?」

「いやじゃ姫」というイメージが強烈すぎて、女の子の名前も出てきません。
わたしが決まり悪くて目を伏せると、意外にも弾んだ声が聞こえてきました。

「あの子のこと、覚えててくれたんだ。嬉しい……」

お母さんの明るさが伝染して、わたしも心が軽くなりました。

「はい。いやじゃ姫はお元気ですか?」

「あ……うん。2歳まで生きられないって言われてたのに、
 去年の夏、2歳の誕生日をお祝いしたの。
 親戚じゅうでお祝いしたら、あの子とっても喜んで……。
 新しい服着て、きゃっきゃっ笑ってた。
 あんなに元気ではしゃいだの、初めてだった……」

お母さんは、本当に嬉しそうに微笑みました。

「良かったですね」

いやじゃ姫が笑っているところを、わたしは見たことがありませんでした。
それでも、お母さんといやじゃ姫の純粋な悦びを、想像できました。

「うん、あの子もきっと嬉しかったと思う。
 わたしたちも嬉しかった。初めての子供だもの。
 お爺ちゃんお婆ちゃんには初孫だったし……。
 ……はしゃぎすぎたのかな?
 お誕生会から2週間して、季節外れの風邪をひいて……」

「え?」

「肺炎になって、一晩で逝っちゃった。あっけないものね」

そのあまりにも軽い口調に、わたしは凍りつきました。
重くなった舌を動かすのに、努力しなければなりませんでした。

「……いやじゃ姫……亡くなられたんですか……?」

「うん……それから、何ヶ月もボーッとしてた。
 なんにもできなくて、すっかり旦那に心配かけちゃった」

お母さんは、ぺろりと舌を出しました。

「でもね……泣いてても、あの子は喜ばないぞ、って言われて、目が覚めた。
 あの子は痛いって泣いて、イヤだって怒ってばかりだったけど、
 誕生日には綺麗に笑って、わたしたちをあたためてくれたのに。
 わたしが泣いてたんじゃ、あの子も旦那も悲しむもんね」

「…………」

わたしは、何か言わなくては、と思いました。
けれど、いくら探しても、この場に相応しい言葉など見つかりません。

「……ごめんなさい。
 わたし、なんて言っていいのか、わかりません」

「謝ること無いのよ。
 わたしこそごめんなさいね、こんな話しちゃって……びっくりしたでしょ。
 あの子のことを覚えていてくれる人が居て、舞い上がっちゃったみたい。
 あの子、ほとんど病院で暮らしてたし、出歩けなかったから、
 近所の人も覚えてないの」

「でも」

「でも?」

「そんなにお母さんに想われて、いやじゃ姫は、生まれてきて良かった、
 と思います」

「ありがとう。……あなたは泣かなくて良いのよ?」

話を聞いているうちに、いつの間にかわたしの瞳から涙がこぼれていました。
涙を流れるままにしていると、お母さんは白いガーゼのハンカチを出して、
目頭に当ててくれました。

「すみません。わたしだけ泣いちゃって……」

「ごめんね。ホントは、あの子のために泣いてくれる人が居て、嬉しいの。
 でも……やっぱり笑ってほしいな。
 あなたを見て、あの子が中学生になったところを想像しちゃった。
 想像の中でも、あの子が泣き顔だと悲しいもの」

「はい……」

わたしはお母さんの沁み入るような笑顔を見返して、微笑んで見せました。

「そうそう、やっぱり子供は笑ってなくちゃ。
 あ、ゴメン、中学生はもう大人ね。
 引き留めちゃってごめんなさい。これから診察券出すんでしょ?」

「あ、はい。お母さんは?」

こんな時間に、病院から出てくるなんて、何をしていたのだろう、
と思いました。

「ずっと家に居ると、ふさいじゃうから、病院のお手伝いをしているの。
 ヘルパーってやつ。今は患者さんのお使いで、下のお店に行くところ。
 これでもヘルパーさんの中では一番若いんだよ」

お母さんは「じゃあね」と手を振って、小走りに歩いて行きました。
病棟も聞きませんでしたけど、この病院に通っていれば、
またいつか会えるだろうと思いました。

わたしは少し遅れて診察券を出し、検尿のコップを検査に回しました。
いつもは待ち時間を待合室で本を読んで潰すのですが、
今日は読書する気にはなれませんでした。

わたしは、1年前に入院した小児科病棟を訪れることにしました。


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