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飛行機に乗るのは、生まれて初めての経験でした。
空港の最寄り駅まで、乗り換えて行かなければなりません。
乗り換えホームまでは、前もって調べられませんでした。

わたしは経路を記したメモを、駅員に見せて道を聞き、
なんとか間違えずに、空港行きのバスに乗りました。
初めて見る空港は、頭の中のイメージとは、ずいぶんと違っていました。

たくさんの人がロビーを行き交い、カウンターがあちこちにあります。
わたしは案内板を頼りにして、国内線のカウンターの前に立ちました。
佇んでいると、カウンターの制服を着た女の人が、わたしを見ました。

「どうしたの? お嬢ちゃん」

「E空港まで、子供1枚、お願いします」

女の人は、首をきょろきょろさせて、辺りを見回しました。
付き添いの大人を探していたのでしょう。
女の人が聞いてきました。

「お嬢ちゃん、一人?」

「はい」

「飛行機に乗るのは、初めて?」

「はい。田舎のお兄ちゃんの所に行きます」

「じゃあ、一番前の、窓際の席を取ってあげるね」

わたしは背中のディバッグを下ろし、中のがまぐちからお金を出して
支払いしました。

搭乗時刻まで、まだかなり時間がありました。
わたしは、空港を見て回ることにしました。

売店の書籍売場で、文庫本を買おうとして、やっぱり止めました。
気が逸って、とても読書に集中できそうになかったからです。

なにか食べておくべきだろうか、とも思いましたが、
緊張のせいか、何も喉を通りそうにありませんでした。

搭乗時刻が近付くと、乗り遅れたら大変なので、ソファーに座って
じっと待ちました。

トンネルのような通路を抜けて、ジェット機の中に入りました。
わたしの席は、一番前の列の、左側の窓際でした。

隣の席に、和服を着たお婆さんと、小学1年生ぐらいの男の子が座りました。
男の子は、窓の外をじっと見ています。
わたしは、外の景色に興味がなかったので、立ち上がって言いました。

「席、替わります」

お婆さんは驚いたようでしたが、男の子はさっさとわたしの席に座り、
窓にかじり付きました。

「あらあらあら、ごめんなさいネェ」

お婆さんがぺこぺこ頭を下げ、わたしも同じだけお辞儀しました。
席に着くと、お婆さんが話し掛けてきました。
わたしが聞かれるままに答え、遠いD地方に居るお兄ちゃんを、
一人で訪ねるのだと言うと、しきりに感心していました。

お婆さんに分けてもらったお菓子を食べ、ジュースを飲んでいるうちに、
わたしの主観ではあっという間に、E空港に着きました。
気流が安定していたためか、心配していた飛行機酔いにもなりませんでした。

飛行機を降りて、ロビーに出ると、お婆さんと男の子の出迎えに、
30過ぎの夫婦が来ていました。
お婆さんは、夫婦にわたしを紹介し、席を譲ってもらったお礼に、
駅まで車で送ってあげると言いました。

男の子の父親らしい、男の人が運転するセダンに乗せられて、
次の通過点になる駅に向かいました。

もう昼を過ぎていたので、途中でレストランに寄って、具のたくさん載った、
冷やしうどんをごちそうになりました。
お婆さんはお小遣いまでくれようとしましたが、さすがにそれは遠慮しました。

駅に着くと、道がややこしいからと言って、お婆さんは入場券を買い、
ホームまでわたしを送ってくれました。

お礼の手紙を書くために、連絡先の住所を紙に書いてもらい、
麦わら帽子を振って、手を振るお婆さんに別れを告げました。

お婆ちゃんの家の最寄り駅までは、特急と普通を乗り継ぐ必要がありました。
数時間後、普通列車を降りた時には、乗り物酔いで気分が悪くなっていました。

ホームから改札への通路を歩いていると、吐き気がこみ上げてきました。
わたしは、急ぎ足でトイレに向かいました。

個室に入って吐こうとして、ハッとしました。
今吐いたら、しぶきが掛かって、新調したワンピースが汚れてしまいます。

喉元までせり上がっていた塊を、わたしは呑み込みました。
口の中が酸っぱくなり、涙が滲んできました。

わたしは急いでワンピースを脱ぎ、個室の壁のフックに掛けました。
下着姿になってしゃがみ、昼に食べた物を便器に戻しました。

そのまましばらく休んでから、汚れた口をハンカチで拭き、
床で裾を汚さないように気を配りつつ、ワンピースを着ました。

個室を出て、洗面所で顔を洗い、歯を磨きました。
鏡を見ると、唇に血の気がありませんでした。

わたしはリップクリームを取り出して、緊張に震える手で、唇に塗りました。


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