153:
「トレーニング……って、わたしに手伝えるの?」
お兄ちゃんはわたしといっしょに住んでいた頃、
毎朝早くにロードワークや竹刀の素振りをしていました。
でも、それをわたしが手伝えるとは思えません。
わたしが不思議そうな顔を察したのか、お兄ちゃんは説明を始めました。
「ああ……最近は違うことやってるんだ」
「剣道じゃないの?」
「高校では剣道部には入らなかった。
前に喧嘩で人を怪我させたからなぁ……。
誘われて柔道部に入ったけど、あんまり真面目にはやってない。
うちの学校の柔道部弱いんだ。
今一番面白いのは、ボクシングかな」
「ボクシングって……殴り合うのが面白いの?」
お兄ちゃんは困ったような顔をしました。
「う〜ん、面白いといえば面白いけど、
殴るのが面白いんじゃなくて、ぎりぎりまで自分を鍛えて、
リングで一瞬の駆け引きを楽しむのが面白いんだ。
お前にはわからないかなぁ……」
お兄ちゃんが誰かに殴られているところを想像したら、ぞっとしました。
「……殴られたら、痛いんでしょう?」
「ん、まあ、そりゃお互い様だからな。
だから、殴られないように練習するわけさ」
お兄ちゃんは立ち上がって拳を構え、
頭を左右に振りながら、しゅっしゅっと宙にパンチを繰り出しました。
拳が速すぎて、ぜんぜん目に留まりませんでした。
「ボクシングジムに通ってるんだ。
練習を一日でもさぼると思うように体が動かなくなる。
お前は時間を計ったりしてくれれば良いから」
お兄ちゃんはTシャツとショートパンツに、わたしは体操服に着替えました。
最初のストレッチはいっしょにやりました。
さっきのシャドウボクシングをするのかと思ったら、
次はウエイトトレーニングでした。
お兄ちゃんが仰向けに寝て、腹筋をする回数を数えるように言われました。
「何回でもできるようになったから、数えるのが面倒くさいんだ」
お兄ちゃんは休みなく腹筋運動を続けます。
時々声を出して数えていると、わたしの声がかすれてきました。
「そろそろ止めるか。やりすぎた」
腹筋は二千回で止めて、今度は腕立て伏せになりました。
「ふつうにやったんじゃ時間がかかる。背中に乗ってくれ。
……しっかり掴まってないと落ちるぞ」
お兄ちゃんのがっちりした背中に、おんぶされるような体勢になりました。
そのままお兄ちゃんは腕立て伏せを始めました。
わたしは振り落とされないように、思い切り腕に力を込めました。
急にお兄ちゃんの動きがストップして、わたしの腕を掴みました。
「うぐ、喉に入ってる……それはチョークスリーパーっていうんだ」
「あ、ごめんなさい」
腕立て伏せを再開して、お兄ちゃんが言いました。
「ちょっと、体重、増えたか? やっぱり、少し、きついな」
わたしの体重は軽いほうでしたが、それでも人ひとり背中に乗せて、
腕立て伏せを続けるお兄ちゃんの体力は驚異でした。
お兄ちゃんは腕立て伏せをして、その後背筋やスクワットをしました。
お兄ちゃんのTシャツは汗だくになり、肩が汗で光っていました。
最後に3分間のシャドウボクシングを何ラウンドかやって、
もう一度ストレッチをしました。
トレーニングを始めてから数時間経ち、
ほとんど見ているだけだったわたしのほうが疲れてきました。
「お兄ちゃん、毎日こんなことしてるの?」
「ああ、あと走るのと、手首のトレーニングかな。
空のペットボトルあるか?」
お兄ちゃんは寝る前に水を満たしたペットボトルを振って、
手首の運動をするそうです。
わたしが眠たそうにしてくると、お兄ちゃんがお風呂を沸かしてくれました。
お兄ちゃんがわたしをお風呂に入れてくれていた、3年前に戻ったようでした。
わたしは妙に眠くて、お兄ちゃんの言葉にあまり反応できませんでした。
お兄ちゃんに頭を洗ってもらいながら、気持ちよくて寝てしまいそうでした。
翌朝目が覚めると、お兄ちゃんのベッドで寝ていました。
ロードワークから帰ってきたお兄ちゃんが、わたしを起こしに来て、
まだ寝惚けているわたしを笑いました。
「○○はなんだか、子供に戻ったみたいだな。
ゆうべは猫の真似してベッドにもぐり込んでくるし」
ぜんぜん覚えていないことを言われて、わたしは赤くなりました。
二、二千!?
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