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大部屋に移った翌朝、わたしはいやじゃ姫のお母さんに尋ねました。
「つらく、ないんですか?」
お母さんの明るさが、わたしの目には奇異に映ったのです。
今思えば、なんて残酷な質問をしてしまったかと、自分を呪いたくなります。
お母さんの表情が一切無くなって、わたしはすくみ上がりました。
「……この子には、悪いことしたと思ってる。
こんな風に、生まれたくはなかっただろうね。
痛くて苦しいことばっかりで……。
でも、親のエゴだけど、一日でも長く生きてくれるだけで、嬉しいの」
「ごめんなさい」
わたしは血の気が引いてしまい、一言謝るのがやっとでした。
お母さんは、目をつぶって、微笑んで言いました。
「あなたが謝ることないのよ。
悪気はなかったんだから」
わたしが悄然としていると、看護婦さんが朝食を持ってきました。
1週間ぶりに見る、お米のご飯でした。
おかずは、湯通しした野菜と酢の物でした。
腎臓食では、食塩(ナトリウム)と蛋白質とカリウムが制限されます。
この3つが、特に腎臓に負担を掛けるからです。
カリウムは生野菜に多く含まれるので、野菜は湯通しなければなりません。
生地に食塩を練り込むパンも、当分食べられません。
甘いか酸っぱいかだけのおかずでは、ふつう食が進みませんが、
久しぶりに食べるお米のご飯は、それだけで美味しく感じました。
ただ、デザートとして付いてくる、甘い甘いオレンジジュースだけは、
鉢の底に1センチほど入っているだけなのに、喉にからんで閉口しました。
退院間近になってやっと気づいたのですが、このオレンジジュースは、
水で5倍に薄めて飲む濃縮果汁でした。
昼過ぎに、入院して初めて、看護婦さんに清拭してもらいました。
ベッドの周りのカーテンを閉め、蒸しタオルで体を拭いてもらうと、
生き返ったような気がしました。
お兄ちゃんが田舎に帰ってしまって、虚ろになった胸の痛みを忘れるのに、
大部屋のにぎやかさは、何よりの薬になりました。
ひとりきりの病室で、ずっとお兄ちゃんのことばかり考えていたら、
わたしはきっと、ふさぎ込んでしまったでしょう。
一夜明けて、腎臓病の4人が腎生検を受ける日になりました。
腎生検を受ける中で、わたしは最年長だったので、最初に処置室に呼ばれました。
ストレッチャーで運ばれ、レザー張りの処置台にうつぶせにされると、
年下の子の手前、恥ずかしいところは見せないようにしようと思っていたのに、
がたがた体が震えてきました。
Qさんが、わたしの背中をさすりながら、笑って言いました。
「もう……一番お姉ちゃんでしょ?
しっかりしなくちゃ」
結局、震えが収まらないので、鎮静剤を注射してもらうことになりました。
左腕に鎮静剤の注射を、腰に局部麻酔の注射を打たれました。
2本の注射はとても痛くて、涙ぐんでしまいました。
やがて、腰の周りがしびれて、感覚が無くなってきました。
うつぶせになっていたので、後ろで何をしているかわかりませんでしたが、
「いくよ」と声を掛けられて、左の腰の少し上に違和感を覚えました。
内臓に棒を差し込まれてかき回されているような感覚が、ぼんやりとしました。
気持ち悪くて、吐き気がしてきましたが、ぴくりとも動いてはいけないと
申し渡されていたので、必死に我慢しました。
処置は、想像していたより早く終わりました。
針で刺した部分を、誰かが10分ほど強く押さえていました。
ストレッチャーに移される時に横目で見ると、
処置台の上に、血に染まった大きな脱脂綿が転がっていました。
ベッドに移された時は、腰の後ろに巻いたタオルか何かを敷かれ、
仰向けに寝かされて、お腹に重い砂袋のようなものを載せられました。
6時間は身動きも禁止、24時間絶対安静、とのことでした。
しばらくすると、主治医のO先生がやってきてました。
「検査するから、尿を採らないといけないの。寝たままでできる?」
寝たままでおしっこをする練習はしていましたが、うまくいかなかったので、
こう答えました。
「寝たままだと、どうしてもおしっこが出ません」
「どうしても出ないんなら、膀胱まで管を差し込まないとね」
わたしはその光景を想像してしまって真っ青になり、O先生に懇願しました。
「ぜひ、寝たままおしっこさせてください!」
ベッドの周りをカーテンで隠してから、
看護婦さんがわたしのパジャマとショーツを下げ、
あそこの下に尿瓶をあてがいました。
その時のわたしに、恥ずかしいと思う余裕はありませんでした。
数分間いきんでも、慣れない姿勢のせいか、おしっこが出てきません。
看護婦さんが、声を掛けてくれました。
「焦らなくていいよ」
体の力を抜いてまた数分待ち、ようやく待望のおしっこが出てきました。
「はぁぁぁぁぁ」
わたしは、心の底から安堵のため息を漏らしました。