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「……どういうことや?
まさかアンタ、先生を誘ってた、て言いたいんか?
アンタはそんなつもりやなかったんやろ?」
「……うん」
「もし誘われてる思うたとしてもや、それは勘違いやん。
確かめもせんと押し倒すやなんて最低や!」
Uの怒りは、口から火を噴きそうな勢いでした。
「最低だよー」
校長先生が事件を知った以上、このままでは済まないでしょう。
まるで背中に重い荷を背負ったような、息苦しさを覚えました。
わたしはうつむいて、胸を押さえました。
「……そうだけど、これで先生の人生が変わっちゃうのかと思うと……」
「自業自得や」
「…………」
「さっき様子が変やったんもそのせいか?」
「うん。お兄さんはなにもしてないんだけど、
体が勝手に硬直して、冷や汗が出てくる……」
「兄ぃが信用でけへんか?」
わたしは下を向いたまま、首を横に振りました。
「そんなことない……。お兄さんは良い人だと思う。ごめんなさい……
……だけど、体が勝手に……T先生の……ときも……そうだったし……」
思い出すと、体中の筋肉が引き絞られて、肩が震えてきました。
顎も硬直して、言葉を続けるのがひどく難しくなりました。
わたしが自分の肩を抱いて、ぶるぶる震えていると、
Vがべったりと背中にくっついてきました。
「もうええ……無理してしゃべらんとき」
どれくらい時間が経ったのか、やっと緊張がゆるんできました。
「はぁ……はぁ……ありがとう。もう、だいじょうぶだから」
Uはなにか痛ましいものを見るかのように、
視線を揺らめかせながら言いました。
「男やったら……誰でも同じか? 『お兄ちゃん』でもか?」
「……わからない」
もし、お兄ちゃんに触れられて、じんましんができたりしたら……
と想像するだけで、目の前が真っ暗になりそうでした。
Uは、にやりと笑いました。
「大丈夫やて。アンタ、お兄ちゃんは特別なんやろ?
神様よりも信じてる、て言うたやん」
まだわたしの背中にくっついているVが、耳元でささやきました。
「そうだよー。だいじょうぶだよー」
わたしは黙って、何度もうなずきました。
この日は結局、ゲームどころの騒ぎではありませんでした。
UとVは、秘密にするという約束を守ってくれました。
事件のことはこの後も、噂にはなりませんでした。
もしどこかから秘密が漏れて、生徒のあいだに噂が流れていたら、
わたしのほうが悪者にされていたかもしれない、と思います。
そしてたぶん、わたしは確信をもって噂を否定できなかったでしょう。
1学期最後のホームルームで、f先生の居ない教壇にT先生が立っているのを、
わたしは安堵とかすかな悔いの入り混じった気持ちで見つめました。
夏休みに入ってすぐ、T先生から電話がかかってきました。
「連絡が遅くなってすまん。
f先生は……退職して実家のある田舎に帰ることになった。
××にとっては納得のいかん処分かもしれんが……
これで2学期からは安心して学校に来られるな」
T先生自身も納得していないような口ぶりでしたけど、
処分に至る経緯をわたしに話すことはできないようでした。
「……はい。いろいろとありがとうございました」
わたしは、f先生のことは忘れて、お兄ちゃんが帰ってくるのを待とう、
と思いました。
お兄ちゃんは、8月になったら帰ってくる予定でした。
ただ、障害が1つだけ残っていました。
わたしがまったく泳げない、という問題です。
泳げない生徒には、夏休みに水泳の補習が課されるのです。
男子は50メートル、女子は25メートル泳ぐのが最低ラインでした。
1年生のときは体育の授業を免除されていましたが、今年はそうはいきません。
2年生になっても泳げないのは、わたしぐらいのものでした。
怖くて水の中で目を開けられず、浮かぶことさえできないのですから、
なんとも情けない話です。
スクール水着に着替えて、1年生の集団からぽつんと離れたわたしは、
学校のプールの水際で、きっと1週間で25メートル泳げるようになる、
と決意しました。
翌日から、午前中は学校のプールに、午後は公営のプールに通いました。
健康的に日焼けした肌が羨ましくて、あえて帽子をかぶらずに、
半袖のワンピースを着て、夏の日射しの下で自転車をこぎました。
最初は、水の中で目を開けることから始めました。
体の力を抜いて、水に浮くようになるまでが大変でした。
けれども目的を持ったわたしの辞書に、諦めるという言葉はありませんでした。