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「ん〜、飲み過ぎたみたいだ。夜風に当たってくる」

お兄ちゃんはふらついてはいませんでしたが、声がうつろでした。
わたしはアルコールのせいか、動悸がしていました。

「わたしも行く」

あわてて立ち上がると、軽い眩暈がしました。
お兄ちゃんがわたしの二の腕を掴んで、支えてくれました。

「お前は先に寝てろよ」

「行く」

「危ないだろ?」

「行く」

「……はぁ、しょうがないな。じゃ、着替えてこい」

「待ってる?」

「待ってる」

わたしは2階に上がって、外出着に着替えました。
パジャマのボタンを外すのに、やけに時間がかかって焦りました。

下りていくと、お兄ちゃんは玄関で靴を履いていました。
お兄ちゃんの後を追って外に出ると、火照った肌に夜気が当たって、
顔や腕がぴりぴりと痺れるようでした。

お兄ちゃんとわたしは、あてもなく歩きだしました。
やがて広い道に出ました。
白や赤の車のランプがひっきりなしに行き過ぎました。

いつもなら、わたしの歩くペースに合わせてくれるのですが、
今日のお兄ちゃんは、わたしより先に歩いていきました。
わたしはお兄ちゃんの背中だけを見て、早足で追いかけました。

お兄ちゃんはふと立ち止まり、右手を斜め後ろに差し出しました。
わたしは追いついて、その手を取りました。

わたしは引っ張られるように、夜の道を歩きました。
見上げても、まとまってない髪が邪魔をして、
お兄ちゃんの横顔はよく見えませんでした。

風はあまりなく、空の星も月も雲に霞んでいました。
台風が来れば良い、と思いました。
激しい雨と風のなかを、ずっとこのまま歩き続けたい、と。

お兄ちゃんが立ち止まり、振り向きました。

「事故だ」

向こうのほうに、パトカーが停まっていました。
前が潰れた白い乗用車が、道の端にうずくまっています。
警官2人と関係者らしい人が、そのそばで何か話しているようでした。

「脇道に入ろう。酔ってるのがばれると拙い」

お兄ちゃんとわたしは、右に折れて細い道に入りました。
街灯もまばらにしかない、暗い道でした。

お寺のような大きな家の前を通ったとき、
中からいきなり犬に吠えかけられました。何頭もの大きな犬でした。
わたしは思わずすくみ上がって、お兄ちゃんの手を固く握りました。

「だいじょうぶ。出て来れないよ」

お兄ちゃんはくすっと笑って、足早にその家を通り過ぎました。
しばらく行くと、道路脇に大きな庭石のような岩が置いてありました。

「まだ犬が恐いのか?」

「少し……」

犬の前に立つと、それが子犬でも思わず体が緊張してしまいます。
お兄ちゃんはわたしを岩に座らせて、
道の向かい側にあった自動販売機で缶コーヒーを2本買いました。

お兄ちゃんが缶のプルタブを開けてくれました。
わたしは手の爪が弱くて、道具がないとプルタブを開けられないのです。

妙な甘みのする不味いコーヒーでしたが、冷たくて目が覚めました。
お兄ちゃんも庭石に腰を下ろし、コーヒーを飲み始めました。

「……○○」

「なに?」

「こうやってお前といっしょに歩けるのは、いつまでだろうな」

どことなく、過ぎ去った遠い昔を懐かしむような声音でした。
わたしは声に力を込めて、言いました。

「ずっと」

「そうだったらいいけどな……。
 お前もいつか、彼氏ができるだろ。
 大人になって、結婚して、子供を産んで……ちょっと気が早すぎるか」

お兄ちゃんはひとりで笑いました。

「そうなったら、俺のことより旦那や子供のことが大事になる」

「わたし、結婚しない。子供も欲しくない」

「……どうして?」

「わたし、変わってるもの。相手なんか居ないと思う」

「今からじゃわからないって……。
 これから色んな出会いがあるさ。お前にも」

「お兄ちゃんも?」

「ん……たぶんな」

お兄ちゃんは立ち上がって、空き缶をゴミ籠に捨てました。


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