184:
「ん〜、飲み過ぎたみたいだ。夜風に当たってくる」
お兄ちゃんはふらついてはいませんでしたが、声がうつろでした。
わたしはアルコールのせいか、動悸がしていました。
「わたしも行く」
あわてて立ち上がると、軽い眩暈がしました。
お兄ちゃんがわたしの二の腕を掴んで、支えてくれました。
「お前は先に寝てろよ」
「行く」
「危ないだろ?」
「行く」
「……はぁ、しょうがないな。じゃ、着替えてこい」
「待ってる?」
「待ってる」
わたしは2階に上がって、外出着に着替えました。
パジャマのボタンを外すのに、やけに時間がかかって焦りました。
下りていくと、お兄ちゃんは玄関で靴を履いていました。
お兄ちゃんの後を追って外に出ると、火照った肌に夜気が当たって、
顔や腕がぴりぴりと痺れるようでした。
お兄ちゃんとわたしは、あてもなく歩きだしました。
やがて広い道に出ました。
白や赤の車のランプがひっきりなしに行き過ぎました。
いつもなら、わたしの歩くペースに合わせてくれるのですが、
今日のお兄ちゃんは、わたしより先に歩いていきました。
わたしはお兄ちゃんの背中だけを見て、早足で追いかけました。
お兄ちゃんはふと立ち止まり、右手を斜め後ろに差し出しました。
わたしは追いついて、その手を取りました。
わたしは引っ張られるように、夜の道を歩きました。
見上げても、まとまってない髪が邪魔をして、
お兄ちゃんの横顔はよく見えませんでした。
風はあまりなく、空の星も月も雲に霞んでいました。
台風が来れば良い、と思いました。
激しい雨と風のなかを、ずっとこのまま歩き続けたい、と。
お兄ちゃんが立ち止まり、振り向きました。
「事故だ」
向こうのほうに、パトカーが停まっていました。
前が潰れた白い乗用車が、道の端にうずくまっています。
警官2人と関係者らしい人が、そのそばで何か話しているようでした。
「脇道に入ろう。酔ってるのがばれると拙い」
お兄ちゃんとわたしは、右に折れて細い道に入りました。
街灯もまばらにしかない、暗い道でした。
お寺のような大きな家の前を通ったとき、
中からいきなり犬に吠えかけられました。何頭もの大きな犬でした。
わたしは思わずすくみ上がって、お兄ちゃんの手を固く握りました。
「だいじょうぶ。出て来れないよ」
お兄ちゃんはくすっと笑って、足早にその家を通り過ぎました。
しばらく行くと、道路脇に大きな庭石のような岩が置いてありました。
「まだ犬が恐いのか?」
「少し……」
犬の前に立つと、それが子犬でも思わず体が緊張してしまいます。
お兄ちゃんはわたしを岩に座らせて、
道の向かい側にあった自動販売機で缶コーヒーを2本買いました。
お兄ちゃんが缶のプルタブを開けてくれました。
わたしは手の爪が弱くて、道具がないとプルタブを開けられないのです。
妙な甘みのする不味いコーヒーでしたが、冷たくて目が覚めました。
お兄ちゃんも庭石に腰を下ろし、コーヒーを飲み始めました。
「……○○」
「なに?」
「こうやってお前といっしょに歩けるのは、いつまでだろうな」
どことなく、過ぎ去った遠い昔を懐かしむような声音でした。
わたしは声に力を込めて、言いました。
「ずっと」
「そうだったらいいけどな……。
お前もいつか、彼氏ができるだろ。
大人になって、結婚して、子供を産んで……ちょっと気が早すぎるか」
お兄ちゃんはひとりで笑いました。
「そうなったら、俺のことより旦那や子供のことが大事になる」
「わたし、結婚しない。子供も欲しくない」
「……どうして?」
「わたし、変わってるもの。相手なんか居ないと思う」
「今からじゃわからないって……。
これから色んな出会いがあるさ。お前にも」
「お兄ちゃんも?」
「ん……たぶんな」
お兄ちゃんは立ち上がって、空き缶をゴミ籠に捨てました。