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電話越しにでも、わたしの声の真剣さは、伝わったようです。
揺るぎないお兄ちゃんの声が、返ってきました。

「なに言ってるんだ? 俺がお前のこと、忘れるわけないだろ?」

「でも……ずっと会わないと……きっと、わたし、忘れちゃう。
 お兄ちゃん、自分のこと、あんまり話してくれないでしょ?
 お兄ちゃんにどんなお友達が居るのかも、わたし知らない」

「ん……ああ、 俺の話なんか、聞いても面白くないと思ってな。
 今度帰った時、ゆっくり話すよ」

「ホント? 楽しみ。お兄ちゃん、冬休みに帰ってくる?」

「ああ、なるべく早く帰る」

その時、去年のクリスマスイブのことが、脳裏に蘇りました。
そうです……お兄ちゃんはモテるのです。

Sさんとは別れたとしても、高校に入ってから今まで、
お兄ちゃんに彼女ができていないとは、信じられませんでした。

「クリスマスは……無理?」

「う〜〜ん、それはまだわからないな……」

予想どおり、お兄ちゃんの声が困ったように濁りました。

「どっちにしてもクリスマスケーキは俺が用意するよ。
 イチゴ生クリームとチョコレートと、どっちがいい?」

「う〜〜ん……」

今度はわたしに難題が突きつけられました。
イチゴ生クリームケーキも、チョコレートケーキも、大好きでした。

「まぁ、まだクリスマスまでたっぷり日がある。
 それまでに決めればいいか。
 学校行事も、定期テストや文化祭や体育祭があるだろ?」

「テストは……まだ1年だから、簡単すぎるよ」

「相変わらず百点満点ばっかりか?」

「ケアレスミスがあるから、満点ばっかりじゃない。
 平均すると98点ぐらいかな?
 お兄ちゃんは?」

「う……お前は相変わらずだな。
 俺のほうは……なんとかクラスでは上位ってところだ。
 勉強する暇がなくてなぁ」

「お兄ちゃんは人気者だから、忙しいもんね」

「体育祭は、まだ無理か?」

「うん。今年は見学だけ。
 出られても、体動かしてないから、きっとビリだよ。
 日射しを避けるために、テントに入れてくれるみたい。
 お兄ちゃんは?」

「俺はいろいろ出場するよ。リレーのアンカーだしな」

「見たいなぁ……」

「1着でゴールしてるところを、誰かに写真撮ってもらうよ。
 陸上部の速いやつが出てこなけりゃ楽勝だ。
 文化祭にはお前も出られるんだろ?」

「うん。うちのクラスは劇に決まった」

クラスでの参加は、劇・合唱・展示の中から1つ選ぶことになっていました。
劇は一番準備に手間暇がかかるので、敬遠されがちでした。

「へぇ。すごいな。お前はどんな役だ?」

「わたしはよく休むから、役はないの。
 当日に欠席するかもしれないから。わたしは大道具。
 背景の書き割りを描くことになってる」

「そうか……でも、クラスで1つのことをするんだから、面白いぞ」

「うん。予算が少なくて、背景を描くベニヤ板が足りなくなりそう。
 今度の会議までに、どうするか考えておくことになってる」

「裏方でもいろいろ大変だからな……。
 どんな劇なのかしっかり観ておいて、後で教えてくれよ」

「うん。ちゃんと観ておく」

お兄ちゃんの声を聞いているだけで、胸が一杯になりました。
長く話しているうちに、受話器を強く握りすぎて、
手のひらに汗をかいていました。
受話器を耳に押しつけているので、耳まで熱くなりました。

ひとしきり話し終えると、無言の時が流れました。
不快な沈黙ではなく、電話越しに空気がつながっているようでした。

「あ……」
「○○」

声が重なりました。

「あ、なんだ?」

「お兄ちゃんこそ、なに?」

わたしのほうには、これといって話すことがありませんでした。

「いや……お前の声が元気になってきたな、と思ってさ。
 電話かけてきた時は、沈んでただろ?
 やっぱりなんかあったんじゃないのか?」

「うん……でも、もう良い。わたしはだいじょうぶだから。
 『いやじゃ姫』のお話、今度してあげる」

「いやじゃひめ……なんだそりゃ? まぁ、楽しみにしてるよ」

「おやすみなさい、お兄ちゃん」

「おやすみ」

受話器を置いて、わたしは心が平静になっているのを自覚しました。

人は何もかも、いずれ忘れてしまうものだけど、
生きている限り、忘れる前に、新しい想い出を作れば良い、と思いました。

お兄ちゃんとわたしが2人とも死んでしまったら、
想い出も消えていくけど、それは仕方のないことなんだ、と思いました。


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