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周りに人が居なくなってから、わたしは思い切って口にしました。
「兄は……どんなことを、してたんですか?」
cさんは困ったような顔で、しばらく唇を舐めていました。
「あのさぁ……マジで秘密にしてくれよ。
俺が変なコト喋ったって知れたらぶち殺されちまう」
上背があって自信たっぷりに見える先輩が、本気で心配しているようでした。
わたしは息を詰めて、うなずきました。
「△△さんは1個上の先輩だったけどよ。あんな喧嘩強い人居ないよ。
俺がここに入った時には結構自信あったんだけどな……。
見た目が真面目っぽいモンだから舐めてかかって喧嘩売ったら、
1分と保たなかった。気が付いたら正座させられて説教さ。
バカやってんじゃねぇ、ってこづき回された。
……でも面倒見の良い人でなぁ。可愛がってくれたよ。
ただ弱いモンいじめが大嫌いでな。ガキや女いじめてるの見かけたら、
ブチ切れてボコボコにしてたよ。怒らせたらあんな怖い人は居ないね」
cさんの喋り方は楽しそうで、お兄ちゃんのことを懐かしむような、
自慢するような響きがありました。
でもわたしの頭の中で、語られたお兄ちゃんのイメージは、
cさんと同じ暴力のにおいを発散していて、眩暈を誘いました。
「俺たちが他の学校のヤツと揉めてると、飛んで来て助けてくれた。
度胸が据わってて、相手が何人居ても平気な顔してた。
後でこっちが悪いとわかったら、立ってられないぐらい殴られたけどな。
あの事件さえ無かったら、卒業までここに居てくれたのになぁ……」
cさんはため息をついて、話を止めました。
反射的にわたしは頭を下げて、お礼を言いました。
「ありがとうございました。このことは、誰にも言いません」
わたしが顔を上げると、cさんはわたしの顔をまじまじと見て、
冗談ぽく言いました。
「あのさぁ、付き合ってることにする、だけじゃなくて、
試しに俺と付き合ってみない?」
「は?」
「いやだからカノジョにならないか、ってこと。
今俺はフリーだしさ。ちょうどイイじゃん。
気持ちいいコトいろいろ教えてあげるよ」
「…………?」
初対面の相手に、それもわたしなんかに交際を申し込むなんて、
この人はいったいどういう思考回路をしているのだろうか……?
と、疑問に囚われてぽかんとし、cさんの顔を覗き込みました。
「どうして、そうなるんですか?」
わたしは困惑して眉を寄せ、本当に首を傾げていました。
すると何を考えているのか、cさんはプハハハハと笑いだして、
わたしの肩を痛いぐらいバシバシ叩きました。
「面白い。面白いよ」
わたしは理解ができなくて、ますます困り果てました。
cさんは笑いをかみ殺しながら、離れていきました。
「君、天然だろ。わかんなきゃいい。
無理にとは言わないよ。無理やりヤッたら△△さんに殺される。
じゃーな。なんかあったら俺の名前出していいから」
cさんは右手を軽く上げて去っていきました。
さっきの申し込みは、わたしにはよくわからない冗談だったのか、
と思いました。
わたしが校舎に戻ると、廊下でUとVが緊張の面持ちで待っていました。
「○○! 無事か?」
「うん、何も無かったよ」
UとVの表情が弛みました。
「何を話したんや?」
「えっと……それは秘密。あと、よくわからない冗談言われた」
「秘密ぅ? わたしらにもよう言えんコトか?」
「○○ちゃ〜ん、黙ってるなんてずるいよー」
「そやそや、2人とも心配してたんやで」
2人とも怒っているようでした。しまった、と思いました。
「……でも、約束しちゃったから」
「脅迫して無理やりさせられた約束は無効なんやで?」
「別に、脅かされたりはしなかったよ」
「ホンマかぁ?
あのcって先輩、喧嘩と女にはめっちゃ手が早いいう評判やで」
「よく知ってるね」
「知らんのはアンタぐらいや。
そのc先輩にのこのこ付いていくんやから、無知って怖いわ」
それはUの言うとおりかもしれない、と思いました。
Uは何かあったらすぐに2人に相談するように、と何度も念を押しました。
わたしはそれを聞きながら、あの物理的な暴力の雰囲気を持ったcさんを、
簡単に倒してしまったお兄ちゃんは、その時どんな目をしていたのだろう、
と震えました。