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もう、ずいぶん長いあいだ歩いていました。

「そろそろ……戻りましょう」

そう言うと、gさんが立ち止まって振り向きました。
さらさらと風になびく栗色の髪。雪花石膏アラバスターを思わせる白い顔。
淡い色の瞳が、まばたきもせずわたしを見据えました。

「○○ちゃんは、なんのために生まれてきた?」

突然の話題の転換に、わたしは付いていけませんでした。
gさんと話す時に気後れしていた理由が、やっと解りました。

数秒後のgさんを、わたしには予測できないのです。
gさんは、わたしが初めて知るタイプの、謎に満ちた存在でした。

「……生まれてきた、目的ですか?」

「目的というか、価値。なんの価値もない人生なんて、無意味よね」

「生まれてきたこと自体には、意味はないと思います。
 生まれてきた者は、ただ、生き続けようとします」

わたしの答えが気に入らなかったのか、
gさんは、本気で蔑むように目を細めました。

「生き続けるのが目的だったら、動物と同じね。それこそ無意味」

「そうかもしれません。でも……死んでしまったら、それで終わりです」

言いながら、微妙な領域に踏み込みすぎたかな、と危惧しました。
けれど、gさんに本音を隠してはいけない、と思いました。

「意味は、あるのかもしれないし、ないかもしれません。
 価値も、誰が判定するかによって、違ってくるでしょう。
 でも、生まれてきて良かった、と自分で思えれば……
 それで十分だと思います」

その答えがgさんを満足させたのかどうか、わかりません。
会話は続かず、gさんが先に立って家路に就きました。

gさんの気分は、前兆なしに激変するのです。
兆しがあったとしても、わたしには読みとれませんでした。
青白く光る、抜き身の刃を目の前にしているようで、
わたしは一瞬も気を抜けません。

お兄ちゃんが、gさんと二人きりで居る時、
どうやって話を続けているのか、想像も付きませんでした。

しばらくして、階段を上ってお兄ちゃんの部屋の前に来ると、
gさんの楽しそうな笑い声が廊下まで響いてきました。

わたしは、ついつい足を止めて耳を澄ませました。
けれど、聞き取れるのはgさんの高い声だけで、
お兄ちゃんの低い声は、なにを言っているのかわかりませんでした。

またある時は、お兄ちゃんの部屋から言い争う声が聞こえてきます。
やがて、すすり泣く声がして、最後にセックスの声に変わります。
どの声も、わたしの心を揺さぶりました。

お兄ちゃんとgさんが仲良くしていると、安心するような、
寂しいような、複雑な気持ちが胸を締め付けます。
喧嘩をしていると、不安と焦燥に胸を灼かれます。
セックスしていると……もう、なにも考えられなくなります。

ある日、わたしが学校から帰って居間に入ると、
gさんがソファーに座っていました。

「ただいま、義姉さん」

振り向いたgさんの顔には、一切の表情がありませんでした。
思い詰めたようなその顔つきに、わたしは立ちすくみました。

「○○ちゃん……神様を信じる?」

突然の重い問いかけに、わたしは逃げ場をなくしました。

「……信じません」

「神様は居ないと思うの?」

「もし居たとしても、神様は人間に関心がない、と思います。
 あらゆるモノの中で、人間だけが特別扱いされる理由がありませんから」

「そう……」

gさんはわたしに興味を失ったかのように、ぼんやりしています。
わたしは答え方を間違えたかな……と思いました。

目をそらせずにいると、gさんが幽霊のようにすっと立ち上がり、
わたしの脇を通り抜けました。

不安に駆られて、わたしはgさんの後を付いていきました。
すると、gさんはトイレに入っていきました。

そのままわたしは、トイレの外で待ちました。
トイレから出てきたgさんと、目が合いました。
gさんの顔に、一つの紛れもない表情が生まれました。

「トイレにまで監視がつくのね」

見開いた瞳の奥から、噴きこぼれそうな剥き出しの憎悪が覗いていました。
歩み去ったgさんを、わたしは追うことができませんでした。
わたしは自分の部屋に戻り、ベッドに身を投げました。

目をつぶっても、体が小刻みに震えて止まりません。
心配だっただけなのに……と思うと、目の奥から涙が湧いてきました。
あれほど純粋な憎悪に晒されたのは、初めてです。

遅く帰ってきたお兄ちゃんに、わたしは小声で呼びかけました。

「お兄ちゃん……gさんの様子が、おかしいみたい。
 なにか、あった?」

仕事帰りのお兄ちゃんは、心当たりがあるのか、疲れた顔をうなずかせました。

「あいつは……ある宗教の信者なんだ。
 自殺しようとしたことが罪だって、悩んでる」


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