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眉根を上げたhさんの表情は、まるで違った人のようでした。
泣いてはいても、その眼差しに宿っているのは、突き刺すような怒り。
わたしは度を失って、とっさに謝罪の言葉を口にしました。
「あ……hさん……ごめんなさい」
hさんはなにも語りません。重苦しい沈黙が、体を締め付けてきます。
「……初詣の約束、守れなくて……」
「違うッッ! そんなことで怒ってるんじゃナイッ!」
突然降って湧いたhさんの怒声に、わたしは棒立ちになりました。
「え……? それじゃ、なにを……」
「自分の胸に聞いてみればいいデショッ!」
顎を突き出し、軽蔑の眼でわたしを見下ろしてから、
hさんは身をひるがえして駆けていきました。
走って追うことのできない自分の体が、この時ばかりは恨めしくなりました。
わたしはその場に立ち止まったまま、胸に手を当てました。
思い当たるふしはありません。
hさんはなにか誤解をしているのではないか、と思えます。
わたしはいっそう重くなった足取りで、学校への道をたどりました。
この後、すぐにhさんを掴まえて、誤解を解く努力をするべきでした。
けれど、あの怒りの視線を目の当たりにしたわたしは、腰が引けてしまいました。
完全にわたしを無視するhさんに、話しかける勇気がありません。
そして間もなく、わたしは再び入院することになりました。
hさんに会わずに済む……と、ほっとする気持ちもどこかにありました。
病院に見舞いに来たUとVに、hさんの話をしました。
「なんやそれは。おかしいんちゃうか?
初詣のことはわたしも謝りに行ったけど、そんときはふつうやったで」
首を傾げてUは不思議がりました。
「もしかしたら……誰かからウソを吹き込まれたんかもしれへんな」
「どういうこと?」
「例えば、アンタが陰でhさんのこと馬鹿にして悪口言うてたとか……」
「わたしがそんな人間だと思ってる?」
話に割り込めないでいたVが、すかさず口を開きました。
「そんなわけないよー。○○ちゃんはひどいことも言うけどー、
相手に直接言うもんねー」
「V……それ、フォローのつもりなの?」
わたしが睨むと、Vはさっと目を逸らしました。
「ぷっ、Vの言うとおりやな。
アンタは素でキツいこと言うことがあるからな。
頭のええアンタに言われたら、
それだけで自分が馬鹿にされてるように思うアホもおるで」
「Uだって、十分にキツいんじゃない?」
「わたしのは半分冗談みたいに聞こえるやろ?
アンタのはいつもマジやん」
「そんなこと言われても……」
「アンタに反感もってウソを言いふらしてるアホがおるんかもしれへんな。
hさんに話聞いてみて犯人突き止めたろか?」
「それは……もういいよ」
「ええことあるかい! ワケわからんうちに嫌われて、
アンタは我慢できるんか?」
「UやVはわたしを信じてくれた。それで十分。
誰からなにを聞いたのか知らないけど、hさんはわたしを信じられなかった。
わたしに確かめもしないで。
今さら仲直りしても、もう遅い……」
嘘でした。平気では、ありませんでした。
ただ……怖かったのです、hさんと対決するのが。
今から振り返ると、やはり誤解を解く努力をするべきだった、と思います。
hさんとは中学卒業後会う機会がなくなり、所在も判らなくなりました。
もう、誤解を解くチャンスさえ残されていません。
わたしはhさんの陰口を叩いていませんし、馬鹿にもしませんでした。
けれど、hさんをUやVとは違う、一段低い存在と見ていたことは事実です。
hさんをわたしが本当の友達だと思っていたら……。
失いたくない親友だと思っていたら、たとえhさんに非があっても、
追いかけて話をしようとしたはずです。
hさんには、人の顔色をうかがうような態度が見て取れました。
たぶん、いじめの対象になっていたのだと思います。
それなのに、わたしはhさんに悩みを尋ねることはありませんでした。
UやVを特別視して、hさんのことを真剣には考えていなかったのでしょう。
今頃になって、hさんの居ないところでこんな話をしても、
それはわたしの自己満足に過ぎません。
取り返しのつかない後悔を胸に刻んで、わたしは生きていきます。