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久しぶりに帰った自宅では、意外な人がわたしを出迎えました。
見たこともないおばさんです。
わたしが入院しているあいだに、通いのお手伝いさんが来ていたのです。
家の中は、想像していたよりも片付いていました。
わたしは、お手伝いさんに挨拶しながら、自分が役立たずになったように
感じました。
家事をする必要が無くなったわたしは、部屋で手紙を書きました。
退院したことをお兄ちゃんに報告する手紙です。
大部屋での生活、腎生検のこと、いやじゃ姫とそのお母さんのことまで
書いて、行き詰まりました。
肝炎のお兄さんのことを、どう書いていいかわかりませんでした。
あの静かな瞳の意味が、まだ言葉にならなかったのです。
その代わりに、髪をうんと短くしたことを書きました。
翌朝、目覚めたとき、病院のベッドと違うことに、一瞬とまどいました。
約6週間ぶりに、登校の準備をして、ゆっくり歩いて行けるように、
早めに家を出ました。
教室に着くと、クラスメイトたちがたむろして、お喋りしていました。
誰かがわたしに気が付いて、話し声がぴたりと止まりました。
女子のひとりが声を掛けてきました。
「××さん、退院したの?」
わたしはうなずきました。
見回すと、机の配置が変わっていました。席替えがあったようです。
わたしの机が見あたりません。
男子がひとり、ごとごとと音を立てて、後ろからわたしの机を押してきました。
男子の顔に見覚えはありますが、名前が出てきません。
「ありがとう」
「いいって……」
その男子は、顔を背けて行ってしまいました。
ホームルームが始まって、担任の先生がみんなに告げました。
「××さんは、長いこと入院していました。
退院して学校に通えるようになりましたが、運動はできません。
体育の時間は見学です。
みんなも、××さんが困っている時には、助けてあげてね」
わたしは先生に指名されて立ち上がり、「よろしくお願いします」と
一礼しました。
お昼休みに、わたしは先生に呼び出されました。
わたしはゆっくり給食を食べてから、職員室に出向きました。
職員室の先生の机の前には、さっき机を運んでくれた男子も立っていました。
「××さん、給食のことだけど、パンの日にはお家から
ご飯を持ってきてもかまいません。
メニューを渡しておくから、食べられないおかずがあったら、
そのぶん別におかずを持ってきてもいいわ」
小学校では、米飯給食とパン給食が一日おきにありました。
「はい」
「それと……R君が、アルバム委員の代理をしてくれてたの。
放課後にときどき委員会があるけど、続けてR君に頼んだほうが良い?」
「いいえ。主治医の先生からは、運動と食事に気を付ければ、
ふつうに生活してかまわない、と言われてます。
なるべく、みんなと同じように扱ってください」
わたしだけ特別扱いされるのは、嫌でした。
「そうね……でも、あなたは元々体が丈夫じゃないし、
まだ体力が落ちてるでしょ?
無理するといけないから、R君さえよかったら、手伝ってもらおうよ」
先生はR君に目配せしました。
「えーと、僕は、かまいません」
わたしは仕方なく、R君に「ありがとう」と言いました。
R君は緊張しているようでした。
先生に頼まれて、断り切れなくなっているんじゃないか、と思いました。
放課後になっても、しばらくわたしは椅子に座って休んでいました。
久しぶりの授業で、思ったより疲れていたからです。
それに、早く家に帰っても、本を読む以外にすることはありません。
わたしがようやく立ち上がって鞄を背負い、出口に向かうと、
R君がそこで待っていました。
「××さん、鞄持つよ」
「必要ない」
「必要ないって……重くて大変でしょ?」
「大変じゃない。中は空だから」
わたしは鞄を振って見せました。教科書は全部、机に入れっぱなしです。
鞄の中には、文庫本1冊しか入っていません。
R君は絶句しました。
「帰るから、どいてくれる?」
R君は道を空けました。わたしは靴を履き替え、正門から道路に出ました。
立ち止まって、鞄から文庫本を出そうすると、後ろにR君が居ました。
R君の家も同じ方角だろうか、と思いましたが、わかるわけありません。
手を止めて思案していると、R君が話しかけてきました。
「あのさ……一緒に帰らない?」
「なぜ?」
「あ、え、その……」
わたしは、なるほど、R君は担任に頼まれたので、
わたしが家に帰るまで見届けないと心配なのだろう、と思いました。
断ろうかと一瞬考えましたが、責任感の強い人に無下にするのも悪い、
と思い直しました。
「行きましょう」