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「え?」
一瞬、意味がわかりませんでした。
「こっちに帰ってきて、お前といっしょに住むってことだ」
「……ホント?」
夢を見ているのか、と思いました。
「ホントだ。約束する」
お兄ちゃんはきっぱりと断言しました。
「でも……学校はどうするの?」
「こっちの高校に転校する。編入試験があるだろうけど、なんとかする」
「お父さんは……なんて言うかな?」
「親父がなにを言ったって関係ないさ。
お前が病気で寝てるのに、そばにいないと心配でしょうがないよ」
「でも……」
お兄ちゃんと父親がいっしょに住むことになったら、衝突は不可避です。
想像しただけで、わたしはそわそわしてきました。
「なんか飲むか?」
お兄ちゃんは立ち上がって、自動販売機の方に歩いていきました。
うなだれて考え込んでいると、突然、首筋に冷たいものが当たりました。
「ひゃっ」
お兄ちゃんが、冷たい缶ジュースを押し当てたのでした。
振り仰ぐと、お兄ちゃんの悪戯っぽい笑顔が見えました。
「お前は心配しなくていいんだ。心配しすぎると体に障るぞ?
楽しいことを想像しなくちゃ。退院したら、遊びに行こうな」
お兄ちゃんがぷしっとプルタブを開け、缶を手渡してくれました。
冷たいジュースが胃に落ちていくと、実感が湧いてきました。
お兄ちゃんとまた毎日いっしょに居られる……くらくらしました。
「うん……待ってる」
お兄ちゃんはそばに立って、わたしの髪を撫でていました。
わたしは胸がいっぱいで、なにも言えませんでした。
お兄ちゃんは手続きを進めるために、田舎に戻っていきました。
コンクリートに囲まれた病室に、お兄ちゃんが買ってくれた花を飾りました。
わたしの世界が色彩と匂いを取り戻し、動き出したようでした。
UとVの2人が、またお見舞いにやってきました。
「○○、前より元気そうやん。安心したわ」
「そう?」
「うん! 顔色いいよー? なにかいいことあったのー?」
「うん、あった」
「なになにー?」
「U、V。2人でわたしのお兄ちゃんに電話したでしょう?
どうして入院したことを知らせなかったんだ、って怒られちゃった」
じろりと睨むと、2人はさっと目を逸らせました。
「……でも、ありがとう。
おかげで、お兄ちゃんが家に帰ってくることになった」
「ホンマか?」
「ホントー?」
「うん」
わたしが微笑むと、UもVも満面に笑みを浮かべました。
それからわたしは、退院の日を指折り数えました。
春休みに入って、ようやく退院の日がやってきました。
病室までお兄ちゃんが迎えに来てくれました。
お兄ちゃんは、地元の高校の編入試験にパスしていました。
わたしは杖を突き、お兄ちゃんと手をつないで、O先生に挨拶に行きました。
病院の外に出ると、頬にあたる風は暖かさを含んでいました。
「○○、お前ももう3年生なんだな」
「うん、お兄ちゃんもね。
学校を変わって、受験勉強大変じゃない?」
「ずっと学校を休んでたお前よりは楽さ。
まぁ……お前はのんびりやればいい」
タクシーを呼んで、お兄ちゃんと家まで帰りました。
玄関に入ると、お兄ちゃんが振り向いて言いました。
「おかえり、○○」
「ただいま。お兄ちゃんも、おかえりなさい」
「ただいま」
「家に帰ってきて、だれかが『おかえり』って言ってくれるの、良いね」
「ああ……いいもんだな」
自分の部屋に上がろうとして、気付きました。
階段の壁の側に、新しい手すりが取り付けてあります。
「この手すりはどうしたの?」
「お前の足だと階段の上り下りが大変だろ?
落ちないようにと思って、手すりを買ってきて取り付けたんだ」