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喫茶店に入ると、Vがテーブルに突っ伏してぐすぐす泣いていました。
Uが来るまで、わたしはVの隣に座って待ちました。
ほどなくして、Uが息せき切って現れました。
注文を済ませ、呼吸を整えて、Uがわたしに訊きました。
「急に呼び出して……なにがあったんや?」
「まだ、聞いてない。三人揃ってからの方がいいと思って。
V……なにがあったのか、話してくれる?」
Vが袖口で涙を拭きながら、途切れ途切れに語りはじめました。
なんとなく予想していたとおり、Xさんの話でした。
けれど、その内容はわたしの想像を超えていました。
Vのために、その内容を詳しく書くことはできません。
「なんちゅうやっちゃ!」
Uが怒りをあらわにして、Xさんを罵りました。
「Uちゃん……○○ちゃん……わたし、
どうしたらいいかわからないよー」
Vの顔色は、壮絶なまでに青ざめていました。
「二人とも、落ち着いて。
とにかく、なるべく早く、Xさんと話し合う必要があると思う」
「でもでも、おにーちゃん電話に出てくれないのー」
「……大学生のXさんから見れば、わたしたち子供だから、
舐められているんだと思う」
わたしの胸も、純粋な怒りの炎に灼けるようでした。
「こんなとき、頼りになるのは……」
Uが悔しそうな表情でつぶやきました。
「兄ぃがおったらなあ……」
「Yさんは遠くにいるんだから、仕方ないよ。
お兄ちゃんを呼んでみる」
「え? アンタの兄ちゃん忙しいんちゃうのん?」
「そうだけど……こんな時だもの。わかってくれると思う。
V、わたしのお兄ちゃんを信用して任せてくれる?」
下から覗き込むと、Vは黙ってうなずきました。
澄み切っていた瞳が、生気を失ったガラス玉のように曇っていました。
わたしはポケットベルでお兄ちゃんに連絡を取りました。
詳しい事情を説明すると、お兄ちゃんも仲裁役を買って出てくれました。
その結果、翌日にXさんとお兄ちゃんとの話し合いが持たれ、
示談書を書かせる形で決着しました。
VとXさんとの婚約は、解消されることになりました。
両家の親にしてみれば、寝耳に水の出来事だったでしょう。
この事件で、一番傷ついたのは、もちろんVでした。
わたしやお兄ちゃんに「ありがとう」と感謝するVの態度は、
うわべだけのものではありませんでしたけど、
その顔に、以前のような屈託のない笑みはありませんでした。
数日後、お兄ちゃんがわたしたち三人を、仕事場に招待してくれました。
お兄ちゃんの働く喫茶店を訪れるのは、初めてでした。
仕事の邪魔になるといけないと思って、遠慮していたからです。
喫茶店の入り口には、定休日の札が下がっていました。
三人でガラス戸を開けると、お兄ちゃんが一人で待っていました。
お兄ちゃんはバーテンダーの黒い服を着ていました。
どこから見ても、二十歳を過ぎた大人に見えました。
「いらっしゃい。美味しいものを食べると気が楽になるよ」
お兄ちゃんはにっこり笑って、三人それぞれの前に、
大盛りのパフェを並べました。
シロップとアイスクリームとフルーツをふんだんに使ったパフェでした。
「泣いていると幸せが逃げていく、って言うからね」
そう言って、お兄ちゃんはシェーカーを振るいました。
「甘くなった口にはこれが美味しいよ。ノンアルコールだから大丈夫」
炭酸の利いた、さっぱりした味のカクテルでした。
わたしやUが元気づけようとしても上の空だったVが、
初めて微笑みを取り戻しました。
「お兄さん……ありがとう」
けれどその笑顔は、どこかしら愁いを帯びていました。
「おにーちゃん」はVの初恋だったはずです。それも、数年越しの。
婚約が決まったときのVの喜びが、幻のように儚く思えました。
あんなに天真爛漫だったVが、急に大人びて見えました。
子供っぽかったVの心を、この事件が殺したのだ、と思います。
大好きだったXさんが最低の人間だと知ってから、
大輪の花が咲きこぼれるようなVの笑顔は、二度と見られなくなりました。
それが大人になるための避けられない代償だったのだとしても、
無条件に人を信じていたVの無邪気さの喪失を、わたしは
何をしたんでしょうか?
2016-04-30 16:35:06 (7年前)
No.1
知りたい
2017-04-06 03:35:37 (6年前)
No.2
大学の人と浮気とかだろうな
2017-07-23 12:16:38 (5年前)
No.3