182:
どきーん、と心臓のあたりに衝撃が走りました。
右手が熱を持ったようになって、体中が熱くなってきました。
「……だいじょうぶか?」
耳許でお兄ちゃんの囁く声がしました。
わたしは黙って前を向いたまま、何度もうなずきました。
喉がからからに渇いて、スクリーンを見ていても意味がわかりません。
わたしはストローをくわえ、冷たいジュースをごくごくと飲みました。
スクリーンに幕が下り、照明が点きました。
観客が立ち上がって、ざわめきながら出口に向かいます。
人の群れが少なくなってから、わたしとお兄ちゃんはロビーに出ました。
「面白かったな……どうした?」
わたしは顔をしかめ、こめかみを押さえていました。
数時間も閉め切った空間にいたせいか、頭痛がしていたのです。
「ちょっと……頭が痛い」
「我慢できるか?」
「うん……外の空気吸ったら、治ると思う。
先に、トイレ行ってくる。ここで待ってて」
わたしはお兄ちゃんをソファーに座らせて、トイレに行きました。
用を足してからハンカチを水で絞り、額を冷やしました。
お兄ちゃんと肩を並べて映画館を出ると、熱気が顔に当たりました。
と、いきなり知らない男の人から、声をかけられました。
「おっ! ××じゃないか?」
お兄ちゃんは立ち止まって、その男の人の名前を呼びました。
どうやらお兄ちゃんの知り合いらしい、とわかりました。
男の人は親しげに笑って、話し始めました。
「久しぶりだなぁ、いつこっちに帰ってきたんだ?」
「いや、夏休みだから里帰りしてるだけ。高校はあっちだよ」
「そっかぁ……また遊びたいとこだけど、お邪魔か?」
男の人は、いわくありげな目をしてわたしを見ました。
お兄ちゃんは視線を遮るように前に出て、言いました。
「何考えてんだ? これは俺の妹。誤解すんなよ」
「ほぉー、あの愛しの妹君かぁ。紹介してくれるんだろ?」
男の人はにやにやしています。
「大事な妹を、オマエみたいな遊び人には紹介できんなー。
ちょっかい出したら殺すぞ?」
「こっわー。マジになんなよ。妹君が怖がるだろ?
まぁ暇が出来たら連絡しろよ。電話番号変わってないから」
何が可笑しいのか、男の人はひとりで笑いながら去って行きました。
わたしは自己紹介もできず、きょろきょろしていました。
「お兄ちゃん、今の人、お友達?」
「ああ、昔のな」
「自己紹介しなくて良かった?」
「要らん要らん。あいつは悪ふざけが大好きなんだ。
今度どこかで会って声かけられても、付いてくんじゃないぞ?」
「うん」
お兄ちゃんの友達から、お兄ちゃんの話を聞いてみたいな、
と思いましたが、先に釘を刺されてしまいました。
「これからどうする? ぶらぶらして晩飯食って帰るか?」
「まだ頭が少し痛いし……もう帰りたい」
「そっか、じゃあ美味しいモンでも買って帰ろう」
駅前のケーキ屋で、わたしの好きなショートケーキを買いました。
お兄ちゃんの態度はいつもと変わりがないようで、どこか違って見えました。
あるいは、変なのはわたしのほうで、お兄ちゃんはいつも通りだったのか、
それとも、2人ともおかしかったのかもしれません。
今までお兄ちゃんと一緒だと、安心してホッとしていたのに、
どこかに、言葉にすることのできない微妙な緊張感がありました。
電車の中で、お兄ちゃんが尋ねてきました。
「○○、映画、面白かったか?」
「うん、CGが迫力あった。恐竜が生きてるみたいだった。
原作の細かい説明が、ほとんどなくなってたのは残念だけど、
仕方ないね」
「なんだ、原作読んでたのか」
「文庫本で2冊。こないだ読んだ。お兄ちゃんも読む?
カオス理論の話とかあって、面白いよ」
「じゃ、後で貸してくれ。寝る前に読んでみる。
俺が田舎に戻る前に、読んでしまえればいいけど……」
「お兄ちゃん……いつ出発?」
「あと、2〜3日したらな」
「そんなに……早く?」
「ん……ああ。あっちでの用事もあるんだ」
お兄ちゃんはやっぱり、わたしを避けているんじゃないだろうか、
そう思ってわたしは顔を伏せました。