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どきーん、と心臓のあたりに衝撃が走りました。
右手が熱を持ったようになって、体中が熱くなってきました。

「……だいじょうぶか?」

耳許でお兄ちゃんの囁く声がしました。
わたしは黙って前を向いたまま、何度もうなずきました。

喉がからからに渇いて、スクリーンを見ていても意味がわかりません。
わたしはストローをくわえ、冷たいジュースをごくごくと飲みました。

スクリーンに幕が下り、照明が点きました。
観客が立ち上がって、ざわめきながら出口に向かいます。
人の群れが少なくなってから、わたしとお兄ちゃんはロビーに出ました。

「面白かったな……どうした?」

わたしは顔をしかめ、こめかみを押さえていました。
数時間も閉め切った空間にいたせいか、頭痛がしていたのです。

「ちょっと……頭が痛い」

「我慢できるか?」

「うん……外の空気吸ったら、治ると思う。
 先に、トイレ行ってくる。ここで待ってて」

わたしはお兄ちゃんをソファーに座らせて、トイレに行きました。
用を足してからハンカチを水で絞り、額を冷やしました。

お兄ちゃんと肩を並べて映画館を出ると、熱気が顔に当たりました。
と、いきなり知らない男の人から、声をかけられました。

「おっ! ××じゃないか?」

お兄ちゃんは立ち止まって、その男の人の名前を呼びました。
どうやらお兄ちゃんの知り合いらしい、とわかりました。
男の人は親しげに笑って、話し始めました。

「久しぶりだなぁ、いつこっちに帰ってきたんだ?」

「いや、夏休みだから里帰りしてるだけ。高校はあっちだよ」

「そっかぁ……また遊びたいとこだけど、お邪魔か?」

男の人は、いわくありげな目をしてわたしを見ました。
お兄ちゃんは視線を遮るように前に出て、言いました。

「何考えてんだ? これは俺の妹。誤解すんなよ」

「ほぉー、あの愛しの妹君かぁ。紹介してくれるんだろ?」

男の人はにやにやしています。

「大事な妹を、オマエみたいな遊び人には紹介できんなー。
 ちょっかい出したら殺すぞ?」

「こっわー。マジになんなよ。妹君が怖がるだろ?
 まぁ暇が出来たら連絡しろよ。電話番号変わってないから」

何が可笑しいのか、男の人はひとりで笑いながら去って行きました。
わたしは自己紹介もできず、きょろきょろしていました。

「お兄ちゃん、今の人、お友達?」

「ああ、昔のな」

「自己紹介しなくて良かった?」

「要らん要らん。あいつは悪ふざけが大好きなんだ。
 今度どこかで会って声かけられても、付いてくんじゃないぞ?」

「うん」

お兄ちゃんの友達から、お兄ちゃんの話を聞いてみたいな、
と思いましたが、先に釘を刺されてしまいました。

「これからどうする? ぶらぶらして晩飯食って帰るか?」

「まだ頭が少し痛いし……もう帰りたい」

「そっか、じゃあ美味しいモンでも買って帰ろう」

駅前のケーキ屋で、わたしの好きなショートケーキを買いました。
お兄ちゃんの態度はいつもと変わりがないようで、どこか違って見えました。

あるいは、変なのはわたしのほうで、お兄ちゃんはいつも通りだったのか、
それとも、2人ともおかしかったのかもしれません。

今までお兄ちゃんと一緒だと、安心してホッとしていたのに、
どこかに、言葉にすることのできない微妙な緊張感がありました。

電車の中で、お兄ちゃんが尋ねてきました。

「○○、映画、面白かったか?」

「うん、CGが迫力あった。恐竜が生きてるみたいだった。
 原作の細かい説明が、ほとんどなくなってたのは残念だけど、
 仕方ないね」

「なんだ、原作読んでたのか」

「文庫本で2冊。こないだ読んだ。お兄ちゃんも読む?
 カオス理論の話とかあって、面白いよ」

「じゃ、後で貸してくれ。寝る前に読んでみる。
 俺が田舎に戻る前に、読んでしまえればいいけど……」

「お兄ちゃん……いつ出発?」

「あと、2〜3日したらな」

「そんなに……早く?」

「ん……ああ。あっちでの用事もあるんだ」

お兄ちゃんはやっぱり、わたしを避けているんじゃないだろうか、
そう思ってわたしは顔を伏せました。


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