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大事な台詞を大きく書いた、スケッチブックを用意していましたが、
ずっとパネルの後ろに居たのでは、Vに見せられません。

「落ち着いて。わたしもUも、背景のパネルの後ろにずっと居る。
 台詞忘れそうになったら、パネルのそばに来てパネルを軽く叩いて。
 小さな声で台詞教えるから。強く叩いちゃダメだよ」

「どうしてそんなところに隠れるのー?」

「あああーもう。時間あらへん。Vには後でゆーっくり説明したる。
 Vはもういっぺん台本読み。わたしらは忙しいねん」

「V、安心して。すぐそばに居るから」

「うん……」

担任を捕まえて、事のあらましを手短に説明した後、
大道具係5人は背景パネルの裏側に回りました。

幕の向こうから、ざわめきが聞こえてきます。
生徒や保護者たちが、観劇に集まってきているようです。

わたしはパイプ椅子をパネルの裏側に置いて、腰を下ろしました。
Uたち4人は、パネルの裏側に立って、支柱を掴みます。
小柄な男子と、わたしと身長の変わらないUは、無理な姿勢に見えました。

「ここからやとベニヤ板しか見えへんなあ」

そう言って、Uが笑いました。

「自分のクラスの劇なのに、なんにも見えないなんて変だね」

「今日は兄ぃが来てるはずや。後で写真見せてもろて我慢しよ」

アナウンスの後、幕が上がって舞台が明るくなり、ざわめきが静まりました。
劇の始まりです。

舞台の上に居るというのに、パネルの裏側からは、なにも見えません。
パネルの中央のわずかな隙間から、わたしだけは覗くこともできたのですが、
ベニヤ板とにらめっこしている4人を思うと、そんなわけにはいきません。

舞台の両側にある大きなスピーカーから流れる台詞も、
この位置だと音響が干渉するのか、おかしな声に聞こえました。

視線を舞台の袖に移すと、Vが控えているのが見えました。
目をつぶって指を組み、なにか祈っているようでした。

Vの肩がぽんと叩かれました。出番です。
ぱっと顔を上げて目を見開いたVに、わたしは無言でうなずきかけました。
Vも気がついたのか、にこっと笑って舞台に進み出ました。

しばらくVの台詞に耳を傾けてから、わたしはUに囁きました。

「V、乗ってるね」

「今日はXの兄ちゃんが来てるからやろ」

わたしは幕の下りるタイミングを予測して、Uと交替しなければなりません。
神経をそれだけに集中していたので、台詞を楽しむ余裕はありませんでした。

1分が1時間のように感じられました。
Vが一度もパネルをノックしなかったのが、唯一の幸いでした。

1幕目が終わる直前に、わたしはUと交替しました。
無理な姿勢で支柱を掴むのは、思った以上に力が要りました。

幕が下りると、Uが前に飛び出して行きました。
パネルがめくられて落ちると、衝撃が伝わってきてパネル全体が揺れました。

しなる支柱を押さえる指が、ぶるぶる震えます。
これがあと3回もあるのか、と思うと、不安が胸をよぎりました。

劇が終幕に近づく頃には、男子たちも姿勢を保つのに必死でした。
その中に混じっているUの頑張りに、わたしは驚嘆しました。

最後の幕が下りると、遠雷のような拍手を聞きながら、
4人は支柱から手を離して尻餅をつきました。

「あ〜しんど」

「疲れた……」

「終わった……」

男子たちも、疲れ切った様子でした。
一番負担の軽かったわたしでさえ、気疲れしていました。

「みんな、お疲れさま」

……と、言うには早すぎました。まだ、後片付けが残っていたのです。
次のクラスが準備にかかるために、素早く撤去しなければなりません。
役目を終えた背景パネルを指定の場所に運んで、やっと解放されました。

わたしとUが、ぼうっとその場にたたずんでいると、
そこに着替えを済ませたVと、Yさん、Xさんの3人がやってきました。

「Uちゃん○○ちゃんありがとうー。おかげでアガらなかったよー」

「立派やったで」

「V、良かったね」

Yさんが口を開きました。

「うんうん、良い舞台だった。1年生にしてはよくやったと思うよ。
 ところで、これから暇なんだろ? 校内を案内してくれよ」

「ちょっとは休ませたろ、ちゅう気遣いは無いんかい?」

「う……後でもいいけど……」

「U、V、お兄さんたちを案内してあげて。
 わたしは保健室に行ってくる」

「具合悪いんか?」

「そういうわけじゃないけど……1日分の気力を使い果たしたみたい。
 文化祭見物より、のんびりしたい」

「そっか……しゃあないな。ゆっくり休み」

わたしは4人から離れて、白いシーツの待つ保健室に向かいました。
どこかに、仲の良い2組のカップル?を見ていたくない気持ちもありました。
お兄ちゃんは、ここには居ないのです。


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