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どきりとするような、鋭い問いかけでした。

「××さんてさ、すっごく落ち着いてるじゃん?
 けど……どっか人を遠ざけてるみたいなんだよね」

「…………」

「気を悪くしたらゴメン。
 今だって、手の届く距離には絶対近づいてこないでしょ?
 意識してやってるのかどうかわかんないけど」

わたしは無意識に、男性とのあいだに距離を置くようになっていました。

「高座からお客さんを見下ろしてごらん。
 大勢の前で一席披露する度胸がついたら、世界が変わる」

こんな台詞を聞いたら、いかがわしく聞こえるのがふつうでしょう。
けれど、j君はふつうではありませんでした。

小揺るぎもしない自信に満ちあふれた態度でありながら、
その目に偏執的な光はありません。
人情をわきまえている人特有の、懐の深さがうかがえました。

「ま、決めるのは××さん次第だけどね。和菓子を食べるのはタダだし」

j君が笑うと、瞳が見分けられないほど目が細くなります。
なんとはなしに、この人は信用できる、と直感しました。
わたしはj君から少し後れて付いていきました。

j君は男子にしては背が低めでしたけど、目の前にいると大きく見えました。
そう思ったのはわたしだけではなかったようです。
その後の生徒会選挙で、j君は新入生として異例な副会長に立候補し、当選しました。

他の男子とどこが違っていたのか、うまく説明できません。見ればわかります。
j君は、人を動かす力、ある種のカリスマを備えていました。

作法室は二間続きの和室です。校内で畳敷きの部屋はここだけでした。
必修クラブの茶道部がこの部屋を使う関係で、お茶の道具が常備してありました。

j君とわたしが上履きを脱いで作法室に入ると、中には先客が居ました。
羽織袴に身を包んだ落研の先輩らしき男子が二人、新入生らしき男子と女子が一人ずつ。
膝を崩してお菓子を食べています。

「いらっしゃ〜い!」

痩せて背の高い先輩が、少し甲高い声で歓迎してくれました。
その横で、ずんぐりした素朴そうな風采の先輩が頷いています。

車座になって、お茶とお菓子をすすめられ、自己紹介することになりました。
背の高い眼鏡をかけた先輩が部長のkさん、ずんぐりしている方が副部長のlさんでした。
新入生の飄々ひょうひょうと掴み所のなさそうな男子がm君、活発そうな女子がnさんでした。

「……というわけで、最初から落研に入るつもりでした」

j君の自己紹介は、むしろ落研の宣伝のようでした。
nさんは興味深そうに頷いていました。
そこでm君が揶揄やゆするようにつぶやきました。

「すごいな。俺なんか冷やかしに来ただけなのに、そこまで考えてたんだ」

「いやいやそれほどでも」

j君は意図的に誤解してみせて、笑いを取りました。
わたしも目を細めていると、k部長が尋ねてきました。

「もしかして、キミも入部志望?」

「え? あ、その、見学しに来ただけです。今のところ」

「ちょっと見たところ落語するようには見えないなぁ。
 そこが意外性あっていいかもしれないよ? ねっ?」

「あ、はい……」

「それに落語部に入れば部費でお菓子が食べられるよ」

「え、いいんですか?」

「いいのいいの! 使わないと部費減らされちゃうし」

「わたし、人前で喋った経験がないんです」

「OKOK。こいつも落研に入るまではろくに口も利けない木偶の坊だったんだよ。
 今でもたいして変わらないしね」

k部長は隣のl先輩に視線をやりながら、しれっと暴言を口にしました。
それでもl先輩はにこにこ笑っています。
k部長とl先輩は、昔から親友同士だったそうです。

おもむろにl先輩が口を開きました。

「うん……俺にはこいつみたいな才能は無いけど、落語は楽しいよ」

j君の異常に説得力のある誘い、k部長のオープンな性格に加えて、
このl先輩の訥々とつとつとした言葉が決め手になりました。
こんなわたしでも、先輩のように落語を楽しめるかも知れない、と。
その翌日、わたしは入部届をk部長に提出しました。

その場にはj君も居ました。

「j君も入部届を出しに?」

「いや、俺はとっくに出した。きのう作法室に顔を出したのはサクラとしてさ」

「サクラ?」

k部長がわたしの入部届を仕舞い込みながら言いました。

「××さんを誘わせたのは俺の命令なんだ。
 部員が5人以上居ないと部活として認められないんだよ。
 実はっ……部費でお菓子を食べられるなんていうのは真っ赤な偽り。
 許してくれっ」

k部長は勢いよく頭を下げました。

「いえ……お菓子のことは別に気にしていません」

ふつうに応えると、部長は少しがっかりしたようでした。
今のは突っ込みどころだったようです。

「j君、わたしが入部しなかったら、どうするつもりだった?」

「そうだな……正直に訳を話して、幽霊部員として名前を貸してもらうつもりだった」

「最初からそうした方が面倒がなかったんじゃない?」

「ノルマはあったけどさ、きのうも嘘は言ってないつもりだよ。
 落語は楽しい。楽しいことをしていれば、人生も楽しくなる。
 ハッピーになりたくない? ××さん」

j君は悪びれた風もなく目を線にしました。
結局、m君とnさんも入部して、合計6人で活動を始めることになりました。


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