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わたしの家の前で、自転車が停まりました。
「お兄さん、上がって行ってください」
「え、いいの?」
「少しぐらい、良いですよ。Uに電話しないといけませんし」
「頼むよ〜。このまま帰ったら問答無用で殺されちゃう」
そわそわしているYさんの前で、受話器を取ってダイヤルしました。
「あ、U? 今、家に着いたところ。
大きな声出さなくても、聞こえるよ」
「○○ちゃん、Uのやつ、怒ってる?」
「そんなに興奮してるんだったら、お兄さん帰れないね。
うちに泊まってもらおうかな……」
「○○ちゃん!」
「はいはい。今から帰ってもらうけど、暴力はダメだよ。
お兄さんを虐めるんだったら、うちに逃げてきてもらうからね?」
「……○○ちゃぁん……」
「電話、切られちゃいました。
釘を刺しておきましたから、いきなり殴られることはないと思います」
「俺の耳には、火に油注いでるようにしか聞こえなかったよぉ……」
「お兄さん、ホントに身の危険を感じたら、逃げてきて良いですよ。
かくまってあげます」
「……余計危険だってば」
Yさんは、とぼとぼと帰って行きました。
幸い、後遺症が残るような目には遭わなかったようです。
わたしも、次にUに会った時に、軽く首を絞められただけで済みました。
UとVのおかげで、お兄ちゃんの居ない日々も、賑やかに過ぎていきました。
親友2人(とYさん)が居なかったら、今のわたしは無かったと思います。
そうしているうちに、2学期が始まりました。宿題の提出、テスト、授業。
わたしには、なんの意味もありませんでした。
b君は相変わらず、わたしが存在しないように振る舞っていました。
aさんも、手出しをしてきませんでした。
陰でどんな噂がささやかれているか、わたしにはわかりませんでしたけど、
興味もありませんでした。
わたしはUやVと話をしているあいだだけ、息を吹き返し、
それ以外の時は息をしないで、ただ本を読んでいるようなものでした。
ある日の昼休み、わたしは教室に居ました。
UとVもそばに座っていましたが、話が途切れて、ぼんやりしていました。
わたしは手元の文庫本に、視線を落としていました。
「3年のcだけど、××は居るか?」
野太い声でわたしの名前が呼ばれて、初めて注意を惹かれました。
教室がざわついていましたが、わたしは背景雑音として、
それを自動的に意識からカットしていたようです。
入り口近くに立っている上級生らしい男子に、わたしは目を向けました。
男子がわたしに気づいて、歩み寄ってきました。
「君が××○○さん?」
「はい」
近くに寄られると、獰猛なドーベルマンのような雰囲気がして、
体が硬くなりました。
「俺は3年のc。ちょっと話があるんだけど、いっしょに来てくれる?」
「はい」
わたしは席を立ちました。横でUが血相を変えて立ち上がりましたが、
手で制してささやきました。
「お兄ちゃんの知り合いの人だから、だいじょうぶだと思う」
cさんと2人で教室の出口に向かうと、道が開けました。
廊下を歩きながら、cさんが言いました。
「しっかし……驚いた。△△さんとぜんぜん似てないね」
「よく、そう言われます。……どこに行くんですか?」
「やっぱり兄妹だな。肝が据わってる。俺、怖くない?」
cさんがニヤリと笑いました。下腹が冷たくなりました。
「怖いです」
「そうは見えないな」
「なんのご用ですか?」
「なんてコトはない。ちょっと倉庫裏に行って話をするだけだ。
……ああ、告ろうってんじゃないから安心していいよ」
「……?」
「△△さんから君のこと頼まれただけだ。
変なヤツに付きまとわれたんだろ?
俺は3年じゃちょっと名前売れてるから、
俺と付き合ってることにすれば、
ちょっかい掛けてくるヤツは居なくなるはずだ」
「……そんな、ご迷惑じゃないんですか?」
「お兄さんには世話になったしね。怒らせると怖い」
「兄が、怖い?」
「あちゃあ……知らなかった? 俺が言ったってのは秘密ね」
cさんが悪戯っぽく笑いました。
優しいお兄ちゃんと「怖い」というイメージが結びつきませんでした。
倉庫裏には先客が居ましたが、cさんが手を振ると居なくなりました。