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「お帰りなさい。お兄ちゃん。
 それ、なに?」

「ただいま。これか?
 水のいらないシャンプーとウエットティッシュだ」

「水のいらないシャンプー?」

「ああ、頭にスプレーすると、
 汚れが浮いてくるんだ。
 タオルで拭き取るだけで綺麗になる。
 看護婦さんに聞いたら、
 当分入浴できないって言ってたからな。
 月曜日に清拭してくれるらしいけど、
 それまで気持ち悪いだろ?
 座って背中向けろ。やってやるから」

「うん」

わたしはうなずいて、窓の方に向き直りました。

しゅっしゅっと、頭皮と髪に、スプレーがかけられました。
お兄ちゃんがタオルとブラシで、少しずつ髪を拭き取ります。

「また髪が伸びたな。暑くないのか?」

「夏は蒸れて暑かった……今は、少しだけ」

「髪を伸ばすのも大変だな。
 伸ばし始めてから1年以上だもんな。
 昔は短かったのに、なんで長くしたんだ?」

「……短くしてると、小さい子供みたいだから。
 お兄ちゃんは……長いのと短いの、どっちが好き?」

「うーん……どっちってことはないな。
 似合ってればいいさ。
 俺は癖毛だから、ストレートの黒髪に憧れるけど」

「そう?
 じゃあ……わたしは、どっちが似合う?」

「うーーーん」

お兄ちゃんは、珍しく言葉に詰まり、考え込んでいるようでした。

「そうだなあ……どっちも捨てがたいな。
 お前の髪はストレートで真っ黒だから、
 きちんと手入れすれば、すげー綺麗だよ。
 今は、ちょっと枝毛ができてるけどな」

「え? ホント?」

お兄ちゃんが爪切りで、ぱちんぱちんと枝毛を切りました。

「思い切って、うなじが見えるぐらいに短くしてもいいな。
 お前は首が細いし色が白いから、
 襟から覗くうなじがすっきりして見える。
 ……ま、これだけ伸ばしたら、切るのは勿体ないかな」

シャンプーが終わると、お兄ちゃんはわたしの髪を、ゴムで二つに分けて
くくりました。そして何か、冷たい物が首に触れました。

「ひ!」

「あ、悪い。冷たかったか?」

お兄ちゃんがウエットティッシュで、わたしのうなじを拭こうとしたのです。

「だいじょうぶ……びっくりしただけ」

お兄ちゃんに顔を見られていなくて、良かったと思いました。
ひどく、動揺していたからです。

薄いティッシュ越しに、お兄ちゃんの指がうなじに感じられました。
愛撫されているようで、ぞくぞくして、気が遠くなりそうでした。

続いて耳を拭かれたときは、思わず声が漏れそうになりました。
あそこを触ってもいないのに、腰がじん、と熱くなりました。

「顔も拭いてやろうか?」

「……はぁぁぁ」

「ん? ……どした?」

「顔は……いい。自分でできるから。
 鏡、取って」

お兄ちゃんが、手鏡とウエットティッシュの箱を、渡してくれました。
鏡に映ったわたしの顔は、上気して目が潤んでいました。
ウエットティッシュで、熱を帯びた皮膚を冷ましました。

「お兄ちゃん……背中も、拭いてくれる?」

「え?」

「ずっと寝てたから、背中がかゆいの」

「あ、ああ……」

パジャマの上着を脱いで、シャツの裾を胸まで上げました。
わたしは、痩せた体を誰にも見せたくない、と思っていましたが、
お兄ちゃんにだけは、見られても良い、とこの時思いました。

背骨に沿ってこすられると、電気が流れたように、びりびりしました。
わたしは、目をつぶって歯を噛みしめました。

「もういいか?」

「うん……うん……」

わたしは、お尻に汗をかいていました。


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