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「……婚約? ホ、ホントに?」

「ウソじゃないよ〜。
 おにーちゃんが家に来てお嬢さんをください、だってー!
 パパもママも喜んでくれたよー。
 大パパは最初絶対ダメ!って言ったけどー、
 おにーちゃんがちゃんと大学卒業したら考えるってー」

弾んだ声を聞いていると、喜色満面のVの姿が目に浮かぶようでした。
中2で婚約というのは、いくらなんでも早すぎるような気がしましたけど、
両親まで賛成しているのなら、どうこう言えることではありません。

「あ……お、おめでとう……」

「ありがとうー!
 ○○ちゃんとUちゃんもいっしょに喜んでくれると思ったよー。
 Uちゃんさっきから電話してるのにお家にいないんだー。
 どこに行ったのかなー?」

「さあ……? 後で電話したとき居たら、教えておくね」

「うくくくくー。わたし、最っ高にしあわせだよー。
 あと3年したらおにーちゃんのお嫁さんになれるんだー」

「……よかったね」

「うん!うん!うん!
 あ……ごめんねー。わたしばっかりしゃべっちゃってー。
 ○○ちゃんもなにか用事あったのー?」

わたしは口をあんぐり開けたまま、固まってしまいました。
まさに幸福の絶頂にいるVに、暗い話はできません。

Vならきっとわたしといっしょに悲しんでくれるでしょう。
でもそれでは、Vの最上の時を台無しにしてしまいます。

「えっと……なんでもないの。Vの声が聞きたかっただけ」

「ちょうどよかったねー。
 わたしも○○ちゃんに早く教えたかったんだー」

「じゃ、またね」

「またねー!」

受話器を置いて、わたしはその場にへたり込みました。
なんというタイミングだろう、と思いました。

Uの家に電話をかけ直すと、今度はUが出ました。
わたしがVの婚約を告げると、Uも仰天しました。
Uは驚きのあまり、わたしの放心に気づかなかったようです。

それからの1ヶ月間、わたしは心をどこかに置き忘れていました。
おぼろげな夢のなかに居たような気がします。
冬休みじゅう、ずっと家に籠もっていました。

新学期が始まっても、朝起き出すことができません。
わたしは風邪を口実に学校をサボりました。
実際に起き上がるのがおっくうなほど、体が重かったのです。

数日休んでいると、UとVが見舞いに来ると電話してきました。
でもわたしは顔を合わせたくなくて、風邪がうつったらいけないと、
申し出を断りました。

それでも、欠席が2週間を過ぎると、2人ともしびれを切らしたのか、
無理やりに押しかけてきました。

玄関に出迎えたわたしは、なんとか笑顔を作りました。
対面した2人は、同時に目をみはりました。

「○○ちゃーん。すっごいやせてるー!」

「アンタ……ご飯ちゃんと食べてるんか? 頬こけてるで」

言われてみると、空腹感はあっても食欲がなくて、
一日一食ぐらいしか食べていませんでした。

「えーと……寝てばっかりだから」

「わたしら、ちょうスーパー行って来るわ」

UはVを引き連れて凄い勢いで買い物に出かけました。
戻ってくると大量のおじやを作り、
ダイニングでわたしが丼1杯平らげるまで見張っていました。

「ごちそうさま……ありがとう」

「もう体の具合はええんか?」

「うん……」

「それならすぐに学校に来れるねー」

Vの輝くような笑みが、眩しいほどでした。

「うん……」

Uが立ち上がりました。

「ほなもう帰ろか。長居したら○○が疲れるやろ。見送らんでええからな」

わたしは大事なことをなにも話していないのに……
UとVの優しさが胸に刺さりました。

その夜は遅くなっても、なかなか寝付けませんでした。
UとVの顔が目に浮かびました。

わたしは起き出して、Uの家に電話をかけました。

「もしもし……夜分遅くすみません」

「……○○か? どないしたん?」

Uはまだ起きていたようでした。

「会えないかな」

「今からか?」

「うん……だめ?」

「ええで、そっち行こか」

「わたしが行く。下で待ってて」

Uのお母さんやYさんとは、顔を合わせたくありませんでした。

「アンタ病み上がりやん、無理したらあかんで」

Uの心配を押し切って、わたしは外出着に着替えました。


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