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あからさまな嫌みを耳にして、わたしは怒るよりもむしろ呆れました。
どうしたらこんな露骨な悪口を、面と向かって口にできるのか不思議で、
aさんの顔をまじまじと見つめました。
わたしが何も言い返そうとしなかったせいでしょうか、
aさんは勝ち誇った様子で離れていきました。
わたしはどうにか無事にやり過ごせた、とホッとしました。
aさんが、順番の最後に当たるUを指名しました。
わたしはUの横顔に気づいて、無事には済みそうにない、と悟りました。
Uの表情は、今までに見たこともない憤怒に燃えていました。
aさんがわたしに囁いたことが、Uにも聞こえていたようです。
人一倍友情に篤いUには、aさんの言葉が許せなかったのでしょう。
わたしはもっと早く、それに気づいているべきでした。
このままだと確実に、Uが噴火してしまいます。
わたしはUの肩に手を置いて落ち着かせようと、腕を伸ばしました。
でも、少しだけ手遅れでした。
Uはaさんに向かって、とんでもない暴言を言い放ちました。
「アンタみたいな×××った×××××に××××なんか、
×××××××わー!!!」(諸般の事情により伏せ字)
部屋中に響く大声でした。瞬間、空気が凍りつきました。
aさんは立ち上がって、目をまん丸に見開き、ぶるぶる震えだしました。
aさんに続いて、aさんの取り巻きも立ち上がりました。
どう考えても、今にも喧嘩が始まりそうでした。
いや、喧嘩にもならず、一方的に袋叩きにされそうです。
一対一ならUがaさんに負けるとは思いませんでしたが、多勢に無勢です。
双方の人数の比率は甘く見つもっても10:3でした。
Vとわたしが味方をしても、大して戦力にはなりません。
Vは雰囲気に呑まれて、すっかり度を失っているようでしたし、
わたしは客観的に見て、クラスの中で戦闘力最低でした。
わたしは、Uはなにを考えているのだろうか、と思い巡らせて、
たぶんUはなにも考えていないだろう、と結論を下しました。
こうなってしまっては、仕方がありません。
どんな手段を使ってでも、開戦を回避しなければならない、と思いました。
わたしは素早く辺りを見回し、必死に頭をフル回転させました。
すぐに答えが出て、行動に移ろうと腰を浮かせた瞬間、
Uがポケットから秘密兵器を取り出して、aさんの鼻先に突きつけました。
なんのことはない、手のひらに包める大きさの防犯ブザーでした。
Uが囁くような声で、aさんに啖呵を切りました。
「寄ってたかって袋叩きにするつもりやったら、これ鳴らすでぇ。
凄い音がするさかいな、先生が飛んでくるやろなー。
ケンカ両成敗って知ってるかぁ?」
機先を制されたaさんは、身動きができなくなりました。
UとわたしとVの3人は、蝋人形のように固まった人影のあいだを抜けて、
悠々と廊下に脱出しました。
薄暗い廊下を歩きながら、わたしはUに声をかけました。
「まったく……なんて無茶するの」
Uは悪びれもせず答えました。
「かめへんやん。aのヤツ、真っ青になっとった。エエ気味や」
「わたしのために、怒ってくれたんでしょ?
嬉しいけど、はらはらした」
「こわかったよー」
Vはもう泣きそうでした。
「ふふん、備えあれば憂いなしや」
「これから、どうするつもり? 今さら部屋には戻れないし?」
「そやなー、どないしよ? 男子んとこ行って布団借りよか?」
「もう……しょうがない。先生の部屋に行きましょ」
「なんて言うつもりや?」
「まかせて」
わたしは林間学校の引率に同行していた、保健の先生を訪ねました。
「どうしたの? こんな時間に」
「気分が悪いので、ここで寝かせてください」
「そう……いいけど、後ろの2人は?」
「付き添いです」
先生はしばらく黙っていましたが、結局3人とも部屋に寝かせてくれました。
先生がどこまで事情を察したのかは、わかりません。
わたしたち3人は緊張から解放されて、夢も見ずに眠りに落ちきました。
翌朝目覚めると先生の姿がなかったので、Uに昨夜のことを尋ねました。
「あの時、ブザーを出すより早く、問答無用で襲われてたら、
どうするつもりだったの?」
Uは不意を打たれた様子で、答えました。
「あ、それは考えてへんかった」
わたしは思わず、ぐったりしました。
「はぁ……。最後の手段を使わなくて済んで、良かった」
「なんやそれ? アンタもなんか用意してたんか?」