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夏とはいっても夜気で体を冷やすといけないので、
わたしはブラウスの上に、薄手のカーディガンを羽織りました。
3人で横に並んで、人気のない夜の道を歩きます。
お兄ちゃんが右側、Hクンが左側、わたしが真ん中で、少し遅れて。
「風が気持ちいいな」
お兄ちゃんがそう呟きました。
3人で夜道を歩いていると、2年前の祭りの夜を思い出しました。
あの時は3人で手をつないでいました。
いまは、3人とも別々に歩いています。
Hクンと手をつなぐと、体が強張るかもしれません。
でもHクンの見ている前で、お兄ちゃんとだけ手をつなぐわけにはいきません。
散歩のコースは、1年前にお兄ちゃんと2人で歩いた、夜の散歩と同じでした。
途中で細い道に折れて、以前犬に吠えられた大きな家の前を通りました。
自動販売機が、散歩の終点でした。
お兄ちゃんが立ち止まって、自動販売機で缶コーヒーを買いました。
お兄ちゃんは1本のプルタブを開けて、わたしに差し出しました。
わたしは缶コーヒーを手にして、道路脇の大きな庭石に腰を下ろしました。
「○○姉ちゃん」
Hクンが、ちらちらわたしを見ながら、話しかけてきました。
「なに?」
「ちっともしゃべらへんのな。俺がおったら面白くないか?」
「H……」
お兄ちゃんが割り込もうとしたのを、わたしは目で制しました。
「そんなことないよ。わたしはいつも、しゃべることがないと黙ってるから。
気にしないで、ね?」
「気にするわ。○○姉ちゃん……なんか、淋しそうやもん」
わたしはハッとしました。
気づかないうちに、Hクンはわたしの表情を見ていたのか、と。
「心配しなくても、良いよ。淋しいのには、慣れてるから」
わたしは微笑みました。でも、Hクンの表情は冴えないままでした。
お兄ちゃんがHクンに歩み寄りました。
「○○は病み上がりだからな、疲れてるんだろ。
コーヒー飲んじゃったら、そろそろ帰るか? ○○」
「うん」
「○○姉ちゃん……変なこと言うてゴメン」
「良いよ。心配してくれて、嬉しかった」
寄り添って立つお兄ちゃんとHクンを見ていると、これがわたしの兄弟なんだ、
と胸が熱くなりました。
3人ともコーヒーを飲み干して、帰途につきました。
お兄ちゃんが歩きながら振り向いて、言いました。
「お前たち、将来の夢ってあるか?」
「夢? なりたいもんとか?」
「そうだ」
「そやなぁ……まだ決めてへんけど……早く一人暮らししたいわ」
「どうしてだ?」
「お母ちゃんがうるそうてかなわん。勉強せい勉強せい、て。
大学はこっちの大学にしたいなぁ……ホンマは高校もこっちにしたいぐらいや。
△△兄ちゃんも、大学はこっちにするんやろ?」
「……たぶんな。
○○は、なにかなりたいものあるか?」
「わたしは……自分がなにになれるのか、まだわからない……。
今は……早く健康になりたい」
「そうだな。健康が第一だもんな。
丈夫になったら、お前ならなんにだってなれるさ」
「○○姉ちゃん、賢いんやろ? 羨ましいわ」
「中学校の成績なんて、社会に出たらなんの意味もないよ」
そうは言っても、「社会」とはどんなものなのか、
わたしには漠然としたイメージしかありませんでした。
「そらそうやけど……。
△△兄ちゃんは、もうなりたいもん決まってるん?」
「俺か? 俺は……このままだと、大学に行って、
卒業したら親父の後を継ぐことになるだろうな……」
なんとなく、歯切れの悪い言い方でした。
「ほかに、なりたいものがあるの? お兄ちゃん」
「ん……ああ、俺がHぐらいの年のときは、料理人になる、って決めてた」
「あきらめちゃったの?」
「んー……いろいろ考えてな……。
料理人目指すんだったら、高校行かずに修業してるよ」
「そう……」
お兄ちゃんの明るい声が、この時は強がりに聞こえました。