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夏休みが終わり、新学期になって、思いがけない事が起こりました。
学校で、わたしの痣の事が大きな噂になったのです。
わたしは担任の女の先生に呼び出されて、
手足の痣がどうして出来たのかと聞かれました。

わたしは正直に答えましたが、先生は信じようとしませんでした。
誰かに口止めされていないか、しつこく念を押されました。
わたしはどうして先生が信じてくれないのかと、内心困惑しました。

今思うと、普段プールの授業に出ないわたしが、
海でクラゲに刺されたのだと言っても、信じられなかったのでしょう。
それに、普通の種類のクラゲに刺されたのなら、あんな痣は出来ません。

わたしにとっては悪夢のような展開で、両親が学校に呼び出されました。
先生は始めから、両親がわたしを虐待していたのだと疑っていたようです。
両親ともに、授業参観に一度も来たことがなかったせいかもしれません。

わたしは両親から、肉体的な虐待は受けていませんでしたが、
お兄ちゃんとわたしは家の中で、捨てられていたようなものかもしれません。

学校から帰って来た両親は、先生から失礼な質問をされたと言って、
カンカンに怒っていました。
怒りの矛先は、わたしを海に連れて行ったお兄ちゃんに向けられました。

わたしが「お兄ちゃんは悪くない」と言っても、聞いては貰えませんでした。
溺れそうになっていたわたしを助けてくれた、
お兄ちゃんがなぜ責められなければいけないのか、
わたしにとっては茫然とするほど、理不尽な成り行きでした。

それまで、父親に小言を言われても聞き流していたお兄ちゃんが、
この時だけはなぜか、猛然と反発しました。
先生に疑われるのは、両親がわたしに構ってやらないからだと言うのです。

父親は、「親に意見するのか! 誰のおかげで食べていけると思ってるんだ」
と喚いて、お兄ちゃんの顔を殴りました。
お兄ちゃんは、鼻から血を流して立っていました。

わたしは、お兄ちゃんが父親を殺すんじゃないかと怖くなりました。
怒って喚く父親の顔より、お兄ちゃんの目の方がずっと恐ろしかったからです。
その時のお兄ちゃんの目は、憎悪に燃えていて、背筋が凍るようでした。

お兄ちゃんは、父親を睨み付けた後、黙って背を向けて部屋を出て行きました。
それから、それまで表面上は波乱の無かった家の雰囲気が険悪になりました。
それまでは、たまに家族4人が食卓を囲む時、会話は弾まないものの、
平穏ではあったのに、お兄ちゃんが席を立って居なくなるようになりました。

わたしの方を見るときは、以前のように優しい目を向けてくれますが、
ふと見ると、お兄ちゃんは虚空を睨み付けているのです。
わたしが「お兄ちゃん、どうしたの?」と問い掛けても、
ぎこちなく笑ってごまかすだけです。
わたしは、お兄ちゃんに何もしてあげられない、ただの子供でした。

そんなお兄ちゃんも、機嫌の良くなる時がありました。
二学期になってから、夜遅くにお兄ちゃんによく電話が掛かってきます。
受話器に向かって冗談を飛ばすお兄ちゃんの顔は、とても楽しそうでした。

わたしはその事を考えないようにしようとしましたが、うまくいきません。
頭の中では、海水浴の日の3人のお友達の顔が浮かびました。

お兄ちゃんとお互いに冗談を言い合っていたAさん。
お兄ちゃんをからかってばかりいたBさん。
お兄ちゃんとはあまり話さなかったけど、一番大人っぽかったCさん。

秋が深まったある日、わたしは電話機の傍に座っていました。
お兄ちゃんより早く受話器を取るためです。
今日はもう掛かって来ないかと思い始めた頃、電話のベルが鳴りました。

「もしもし、××ですが、どちらさまですか」
「あ、その声は○○ちゃん?
 ごめんなさい。お兄ちゃんいる?」

電話の声は、Cさんでした。
「お兄ちゃーん、電話!」
お兄ちゃんが、自分の部屋からバタバタとやってきました。
わたしは、無言で受話器をお兄ちゃんに渡し、部屋に戻りました。
お兄ちゃんの顔を、見ていたくなかったからです。

わたしは部屋の扉を閉め、ベッドに潜り込みました。
お兄ちゃんの笑い声が響いてこないように、布団を頭から被って、
枕に顔を埋めました。

お兄ちゃんの優しさは変わらないのに、
なんだかお兄ちゃんからも捨てられてしまったような気がして、
熱い涙がこみ上げてきました。
枕をいくら濡らしても、涙は止まりませんでした。

次の日の夜、お兄ちゃんと二人だけの食卓で、
お兄ちゃんの目を見ないようにして、わたしは切り出しました。

「お兄ちゃん。
 Cさんと、付き合ってる?」

お兄ちゃんは、飲んでいたお茶を吹いてしまいました。

「な、なに言うんだいきなり」

心のどこかで、聞いてはいけない、という声がしましたが、
わたしの口は止まりませんでした。

「あの海水浴の日から?
 もっと前から?
 お兄ちゃんから告白したの?
 ……もう、キス、した?」


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