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わたしは夕食の前に、お婆ちゃんに、食事の支度を手伝うと申し出ました。

「そら助かるけど、子供は外で遊ばな」

「この辺に、お友達居ないし。外は暑いから」

わたしは一品だけ、おかずを作ることになりました。
なにを作るのかは、もう決めていました。
お兄ちゃんがよく作ってくれた、わたしの大好物の、出汁巻き卵です。

お兄ちゃんは本格的に、昆布と鰹節で出汁を取っていましたが、
今回は時間がないので、仕方なく本だしで代用します。
本だしを水で溶かし、薄口醤油とお酒、砂糖を加えます。

醤油は控え目、砂糖はたくさん入れて、甘くするのがお兄ちゃんの味でした。
隠し味に、塩もちょっぴり入れます。

卵を割ってときほぐし、少しずつ出汁を混ぜながら、泡立たないように、
均一になるように、菜箸でかき混ぜます。

卵と出汁の割合は、普通3:1ぐらいですが、お兄ちゃんは出汁を多めにして、
ふっくらと柔らかに焼き上げていました。

砂糖や出汁を多くすると、焦がさず焼くのが大変になります。
やり直しをする時間はありません。
わたしは自宅に居た時に、何度も練習したのを思い出しました。

長方形の卵焼き鍋を、強火に掛けて熱します。
サラダ油を多めに入れて、鍋を回して四隅までよくなじませます。

余分な油をペーパータオルの上に捨て、そのペーパータオルを丸めて、
油膜が薄く均一になるように、鍋を拭きます。

火加減を調節して、卵の滴を落とした時に、ジュッと音がするぐらいにします。
温度が高いと卵が焦げ、低いと舌触りが粗くなります。

ここからがいよいよ、正念場です。
鍋の底に行き渡るように、溶き卵を流し込みます。
卵が半熟になったら、向こう側から手前にくるくる巻きます。

タイミングが重要です。
卵が柔らかすぎると、うまく巻けませんし、固まりすぎると、
舌触りが悪くなります。
この時、わたしの顔つきはきっと、鬼気迫るものがあったでしょう。

手早く、卵を奥に滑らせ、空いた場所に薄く油を敷きます。
菜箸で卵を浮かせながら、また溶き卵を流し込みます。
これを3回ほど繰り返すと、出来上がりです。
一度に作れるのは2人前なので、これを3回繰り返します。

出来上がった出汁巻き卵は、まな板の上に並べ、巻き簀で形を整えて、
4等分に切ります。
四角いお皿に盛り付け、汁気を切った大根下ろしを添えると完成です。

もちろん、お兄ちゃんのお皿には、焼き加減が一番上手く出来た、
焦げのない綺麗な物を選んであります。

曾お婆ちゃんは、あまりたくさん食べられそうにないので、
お兄ちゃんのお皿だけ、1切れ多く盛りました。

お皿やお茶碗を食卓に運んで、夕食の時間になりました。
席に着いたお兄ちゃんが、出汁巻き卵の皿を見て言いました。

「ん? これは○○が作ったのか?」

わたしはこっくりと頷きました。

いただきますの後、お兄ちゃんは真っ先に、出汁巻き卵に箸を伸ばしました。
わたしは、卵を頬張るお兄ちゃんの顔を、息を凝らしてじいっと見つめました。

お兄ちゃんは、よく噛んで味わった後、にっこりして言いました。

「うん、美味い。合格」

それを聞いてわたしは、天にも昇るような心地になりました。
お兄ちゃんは、出汁巻き卵だけを、最初に食べ尽くしました。

お兄ちゃんはそれ以上、なにも言葉にしませんでしたが、
たぶん、他の料理を作ったお婆ちゃんに、気を遣っていたのでしょう。

お兄ちゃんは料理の味に厳しくて、お世辞で美味しいと言ったりする事は無い、
とわたしは知っていました。

自分の皿から、出汁巻き卵を1切れ取って、口に入れて噛んでみると、
舌の上でとろけて、出汁の旨みと甘みが、口一杯に広がりました。

わたしは、練習の時と同じ料理なのに、自宅で食べた一人きりの夕食より、
どうしてこんなに美味しいのだろう、と思いました。

思い返しても、その日の夕食に、出汁巻き卵以外のどんなおかずがあったのか、
どうしても思い出すことができません。

そうして、平穏で充実した日々を過ごしているうちに、お盆が近付いてきました。
お盆のあいだは、人の出入りが多くなるので、わたしはお兄ちゃんと一緒に、
お母さんの実家に行くことになりました。

実家へ行く途中にある、お母さんの下の妹に当たる、G姉ちゃんの家で、
いとこたちが集まるんだ、とお兄ちゃんが言いました。
お兄ちゃんとわたしを、F兄ちゃんが車で送ってくれました。


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