305:
羽毛のように優しく、お兄ちゃんの左手が背中を撫でました。
右手はわたしの髪を
重力が無くなったかのように、体が軽くなりました。
お兄ちゃんの鼓動とわたしの鼓動が重なって、一つになりました。
1分だったのか、5分だったのか、もっと長かったのか判りません。
夢のようなひとときでした。
お兄ちゃんの指がわたしの髪をかき混ぜて離れ、
胸が潰れるほどぎゅううううっと強く抱きしめられました。
「か、はっ」
肺から息が漏れました。
お兄ちゃんの首に預けた頭の天辺に、口付けされたのがわかりました。
力が緩められ、顔を上げると、お兄ちゃんの顔が目の前にありました。
かすかにたばこ臭い、お兄ちゃんの息の匂いがしました。
耳の奥で血流が轟々と血管を過ぎる音がしました。
お兄ちゃんの指先が、何度もわたしの頬を、耳を撫でさすりました。
火が着いたような熱さが、顔を覆っています。
「はああああっ」
吐息が漏れて、お兄ちゃんとわたしの息が混ざり合いました。
もう、立っていられません。
目を伏せて、ずり落ちないようにお兄ちゃんにしがみつきました。
お兄ちゃんはわたしを、抱きかかえるようにベンチに座らせました。
お兄ちゃんも隣に腰を下ろし、右手でわたしの肩を支えました。
「……おにい、ちゃん」
「……」
「会えなくてもいい。
お兄ちゃんがわたしのこと好きでなくても……
わたし、お兄ちゃんが好き。
わたしのこと、忘れないで」
「忘れない」
お兄ちゃんは、もう一度繰り返しました。
「忘れない」
「ああ……今日は、楽しかった……。
もう、真っ暗だね。
お兄ちゃん、帰って」
「夜道は危ないぞ」
「ここからなら、ひとりで帰れる。
離れたくないけど、ずっといっしょには居られないもんね」
わたしは立ちあがって、お兄ちゃんから距離を置きました。
冬の夜気が、体と頭を冷やしてきます。
水銀灯に照らされたお兄ちゃんの顔は、儚げに見えました。
「もうすぐクリスマスだな……俺は仕事が入ってて会えないけど、
なにか欲しいものはないか?」
「ないよ。プレゼントはさっき、貰っちゃった。
わたし、忘れない」
たとえこれが夢でも、かまわないと思いました。
「また、落ち着いたら連絡するよ」
「うん、待ってる。お兄ちゃん、元気でね」
わたしは笑顔で手を振って、冷たく暗い家へ戻っていきました。