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バイクの後輪が浮き上がってつんのめるようになったのは、
時間の流れに換算すると、たぶん数分の1秒に過ぎなかったと思います。
わたしはその短い刹那に、お兄ちゃんの背中に固く掴まって、
確実に訪れるであろう死を待ちました。
死の
わたしの恐怖心は振り切れてしまったのか、なんの感慨もありませんでした。
なにも見えず、なにも聞こえず、お兄ちゃんの背中の革の匂いさえ無く、
お兄ちゃんの背中とわたしの体だけが、宙に浮いているようでした。
後輪が接地して、何事もなかったかのように、バイクはカーブを抜けました。
わたしは腕の感覚が無くなるほど強くしがみついて、無言でした。
バイクが小さな広場のような所で停まるまで、わたしの記憶は飛んでいます。
お兄ちゃんはバイクのエンジンを止めました。
騒音が無くなると、妙に空虚な気がしました。
「○○。降りてくれ」
「…………」
わたしが返事をしないでいると、お兄ちゃんは怪訝そうに訊いてきました。
「どうした? まさか……寝てるのか?」
わたしは忘れてしまった言葉を思い出すように、努力して口を開きました。
「腰が……抜けちゃった」
お兄ちゃんのお腹がぴくぴく動いて、笑っているのがわかりました。
笑い事ではありません。
わたしの腰が立たないのでは、2人ともバイクから降りられないのです。
「そのまましっかり掴まってろよ」
言われなくても、お兄ちゃんのお腹に回したわたしの腕の力は、
抜こうと思っても抜けませんでした。
お兄ちゃんはわたしを背中にセミのように掴まらせたまま、
ゆっくりと右足を上げてバイクを降りました。
お兄ちゃんが屈んでわたしの腕を取り、引きはがすように指をほどきました。
わたしはずるずると滑って、コンクリートの地面に尻餅をつきました。
お兄ちゃんが立ち上がって、ヘルメットを脱ぎました。
わたしはまだ、地面にぺたんと座り込んだままです。
お兄ちゃんがわたしのヘルメットを外すと、風が頬に当たりました。
「大丈夫か?」
「だいじょうぶじゃない。死ぬと思った」
「くっくっく……ごめんごめん。そんなに怖がるとは思わなかった。
立てるか?」
お兄ちゃんが右手を差し伸べました。
お兄ちゃんは時々、ひどく不謹慎になります。
あんなに怖がらせておいて、笑うのはひどいと思いました。
わたしは顔をそむけて、背中をお兄ちゃんに向けました。
「知らない」
脇の下に手を入れられて、引き上げられました。
わたしを後ろから抱きしめて、お兄ちゃんが耳元で囁きました。
「ホントにごめん。悪かった。機嫌直してくれよ」
わたしは口をとがらせて、うなり声をあげました。
「あんな運転してたら、お兄ちゃん死んじゃうよ?」
「う〜〜ん。そうかなぁ? 今日はお前がいたから、
いつもより抑え気味にしたんだけど」
わたしは呆れて物も言えませんでした。ふとバイクに目をやると、
ステップの先端の下側が斜めに削れていました。
1回や2回であんなに削れるはずがありません。
わたしが黙っていると、お兄ちゃんはベンチに座りました。
わたしはお兄ちゃんの膝の上です。
わたしはハッとして、勢いよく立ち上がりました。
「○○、どうした?」
お兄ちゃんも腰を浮かせました。
「ちょ……ちょっと、トイレ」
わたしは早足で、広場の角にあった公衆トイレに駆け込みました。
さっきの臨死体験のとき、おしっこを少し漏らしたような気がしたのです。
狭い個室の中で、ジャンプスーツを膝まで下ろすのは大変でした。
薄暗い灯りの下で、ショーツを下ろして見ると、シミにはなっていませんでした。
わたしはホーッと安堵のため息をつきました。
替えの下着なんて、こんな山の中では買えないからです。
おしっこを済ませてからまた苦労してジャンプスーツを着込み、外に出ました。
お兄ちゃんはベンチに座って、煙草をふかしていたようです。
何食わぬ顔をしていても、灰皿から煙が出ていればわかります。
わたしはお兄ちゃんを無視して、広場の外側の柵にもたれかかりました。
近づいてくるお兄ちゃんのブーツの足音が聞こえました。
「綺麗だな」
「え?」
「夜景が綺麗だろ? お前にこれを見せたかったんだ」
そう言われて初めて、いままで視界に入っていたのに、
気にも留めていなかった眼下の夜景に目の焦点が合いました。
山の上から見下ろした街の灯りは、宝石箱をぶちまけたような彩りでした。
星空より明るく、人々の営みを表しています。
「ホントに……綺麗」
「なっ」
わたしの機嫌は、あっさり直っていました。
優しいお兄さんだねよかったね
2017-12-15 20:47:37 (6年前)
No.1