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わたしは授業中ずっと、机に突っ伏して目蓋を閉じていました。
疲れたときはいつもそうしていたので、目立ちはしませんでした。

じっとしていても、胸のむかつきはいっこうに収まりません。
それどころか、お腹まで痛くなってきました。
食あたりの腹痛ではなく、もっと奥の深いところから来る鈍い痛みです。

かつて経験したことのない陰鬱な気分に、これはもしかしたら、
ただごとではないのかもしれない、という疑念が湧きあがってきました。
昼休みに入るまで、一度も指名されなかったのが、唯一の幸いでした。

お弁当を広げるクラスメイトたちの中、わたしは机に両手をついて、
やっとの思いで立ち上がりました。

いつの間にか近寄ってきていたUが、驚いたような声を出しました。

「○○、アンタ……ホンマに顔色悪いで? 保健室行くか?」

「○○ちゃん、どうしたのー?」

わたしは顔を上げることができず、手短に答えました。

「お腹痛い……トイレ行ってくる」

壁づたいに歩くトイレまでの道のりが、果てしなく遠く感じられました。
ようやくトイレの扉を押した時には、全身に冷たい汗をかいていました。

下腹部の痛みは、すでに異物感さえ伴っていました。
自分の心も体も、自分のものでないような、あやふやな感じでした。

便器をまたいでショーツを下ろしたわたしは、ショックを受けました。
ショーツには、茶色いどろどろしたシミが付いていました。
一瞬、下痢でう○こを漏らしてしまったのか、と思いました。

でもすぐに、立ち昇ってきた鉄の匂いが鼻を衝いて、出血だと悟りました。
血尿ではなく、初めての生理……
「初潮」という言葉が、ぐるぐると頭のなかを駆けめぐりました。

UやVを含めて、クラスメイトの女子の多くには、生理が始まっていました。
女子のあいだで日常的に交わされている「アレ」という言葉とか、
ナプキンの貸し借りから、わたしもおぼろげに想像はしていました。

でも、想像とはぜんぜん違っていました。
まさかこんなに気持ち悪くて、痛いものだとは、思いもしませんでした。

頭の奥がずーんと重くなり、光彩のようなものがちらついて、
目の前が暗くなってきました。

これは慣れ親しんだ、貧血の症状だと自覚して、かえってホッとしました。
貧血ならわたしにも対処できます。

わたしは頭を低くするために、便器を抱くようにうずくまりました。
手や制服が汚れてしまいますけど、この際考えている余裕はありません。

わたしはその体勢のままで、文字通り進退窮まりました。
立ち上がって助けを呼びに行くこともできません。
お腹の痛みも、じわじわ湧いてくる出血も、止まりそうにありません。

吐いてしまえれば楽になったのかもしれませんけど、
朝からなにも口に入れていないわたしは、戻すことさえできませんでした。

どれくらいの時間そうしていたのか、わかりません。
一瞬のような気もしますが、その場では永遠に終わらないかと思いました。

どん、どん、と低い音が響きました。
わたしの頭には、最初なんの振動だか見当がつきませんでした。

「○○! 大丈夫か! 返事しぃ!」

Uの声を聞いて、いまのがトイレのドアを叩く音だった、と気づきました。
でもわたしは、そのまま返事するのを忘れていました。

「○○、動いたらあかんで!」

今度は声が、上から降ってきました。
わたしの体の脇に、どん、と2本の足が降り立ちました。

個室のドアが開かれ、Uと入れ替わりに、白衣の裾が入ってきました。
わたしはショーツを下ろして足を広げ、便器を抱いているという、
絶対に人に見られたくない格好をしていました。

わたしが狼狽もせず、下半身を隠そうともしなかったのは、
貧血で頭に血が十分巡っていなかったせいでしょう。

先生はしゃがみ込んで、ささやきました。

「××さん、お腹が痛い? 気分が悪い?」

「お腹痛いです……血が……」

わたしは断片的な言葉しか、口にできませんでした。
先生はわたしの置かれた状況を見て取って、察したのでしょう。
外でなにか指示をして出て行きました。

UとVはなにも言わず、ただわたしのそばにしゃがんでいました。

やがて、先生が帰ってきました。
先生の腕につかまって、わたしはゆっくりと立ち上がりました。

「生理は初めてね?」

「……はい」

「サイズが合わないかもしれないけど、我慢して。
 生理用品は買ってある?」

「……はい……家に」

たぶん、ずっと前に買って仕舞ってあるので、埃をかぶっているでしょうけど。

わたしが先生の手に支えられて脱いだ、血で汚れたショーツは、
先生がどこかに仕舞いました。

わたしがうながされるままに、新しいショーツに膝まで足を通し、
白衣の肩に掴まると、先生はショーツにナプキンを着けてくれました。

わたしは先生とVに両側から支えられて、やっとトイレを出ました。

「車を正門に回しておくから、あなたたちお願いね」

UとわたしとVの3人が、3人4脚のようにして正門前に出ると、
先生はもうそこで待っていました。

わたしが助手席に腰を下ろすと、UとVを残して車は走り出しました。

「先に病院に行きましょ。お腹痛いと思うけど、もう少し我慢して。
 ××さんは持病があるから、主治医の先生に処方箋書いてもらわないと」


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