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その日はずっと胸苦しくて、食事が喉を通りませんでした。
いつもより早めにベッドに入りましたが、浅い眠りを繰り返すばかりなので、
あきらめて明け方に起き出しました。

わたしは早朝の涼しい空気を吸うために、着替えて玄関を出ました。
外の郵便受けに、新聞を取りに行ったのです。

門の所まで来て、わたしは愕然と立ちすくみました。
笑顔のb君が、門の向こう側に立っています。

「おはよう、○○ちゃん」

「……おはよう、b君」

どうしてb君が、こんな時間にこんな場所に居るのだろうか、
と不審に思う気持ちが顔に出たのでしょう。
b君はわたしが尋ねる前に、自分から話しだしました。

「ゆうべはなんだか眠れなくてさ。散歩ついでに歩いてきたんだ。
 ○○ちゃんは眠れた?」

「え、あ、うん……」

「そう、じゃあ、これから散歩に行かない?」

「わたし、もう一度寝るから」

「あ……そう。じゃあ、後でこれ読んでよ」

b君は、表に宛名だけ書かれた、分厚い白封筒を差し出しました。
わたしが手に取ってみると、封筒の厚さは1センチほどもありました。

「これ……なに?」

「あんまり話する時間がないからさ。夜中に手紙を書いたんだ。
 後で読んで。じゃあまた」

b君は手を振って歩いて行きました。
玄関に入って封筒を開けると、四つ折りにした便箋が10枚入っていました。

便箋の1枚1枚に、行を空けずにびっしりと字が並んでいます。
詩の引用を交えながら、わたしを観察してきた事が綴られていました。

そこに書かれているわたしは、信じられないぐらい清純な姿でした。
ただ……わたしの名前が、読みは同じでも1文字違う字でした。

わたしは空腹でしたが、食欲がなくて、また寝間着に着替えました。
ベッドに入ってシーツをかぶっていると、下で電話が鳴りました。
びくりとして身を固くしていると、呼び出し音は十数回で途切れました。

わたしはこのまま、UとVがキャンプから帰ってくるまで、
家から一歩も出ないようにしよう、と思いました。

昼過ぎになって、また電話が鳴りましたが、わたしは出ませんでした。
眠ることもできず、ベッドの上で丸くなっていました。

ふと、玄関でごとごと物音がしているのに気づきました。
こんな時間に両親が帰ってきたことは、今まで例がありません。

わたしが全身を耳にしていると、物音は家の中に入ってきました。
確かに玄関には鍵を掛けていたはずです。わたしは息が止まりました。

リズミカルな足音が、階段を上がってきました。
わたしはハッと気がついて、ベッドから身を起こしました。
部屋の入り口に駆け寄って、ノブを回しました。

人影が、勢いよく開け放たれたドアに驚いて立ちすくみました。

「ッ……! ○○、居たのか」

びっくりした顔のお兄ちゃんが立っていました。

「お兄ちゃん……? お帰りなさい」

「あ、ああ、ただいま……○○、お前、泣いてるのか?」

「え……?」

気が付くと、頬が濡れていました。
お兄ちゃんの顔が、気遣わしげに強ばりました。

「寝間着のままで、体の調子が悪いのか? なら早くベッドに寝なくちゃ」

「体は、だいじょうぶ」

「とにかく、ベッドに行こう」

お兄ちゃんはわたしを抱きかかえるようにして、ベッドに連れて行きました。
お兄ちゃんの膝に座って首に両腕を回してみると、お兄ちゃんの首は
温かいというより熱いぐらいでした。

「○○、お前、手が冷たくなってるじゃないか」

体温が下がっていたのは、さっきまで鳥肌が立っていたせいでしょう。
お兄ちゃんはわたしの背中をこすりながら、囁きました。

「何があったんだ? 兄ちゃんに話してみろ」

「……お兄ちゃん、手紙読んだ?」

「ん、ああ、だから予定を早めて帰ってきたんだ。
 駅から電話しても誰も出ないから心配したぞ。
 電話の音が聞こえなかったのか?」

「ごめんなさい……聞こえてたんだけど、出られなかった」

「……? どういうわけだ?」

わたしはお兄ちゃんの胸に顔を埋めたままで、b君に呼ばれて倉庫裏に
行ってからのことを、順を追って詳しく話して聞かせました。
お兄ちゃんはうんうんと相づちを打ちながら、黙って聞いてくれました。

わたしが手首を掴まれて赤いアザが出来た話をすると、
お兄ちゃんはすぐに、カーテンを閉め切っていた部屋の灯りを点けて、
わたしの手首を確認しました。

アザは薄れてもうわからなくなっていましたが、
わたしはお兄ちゃんの目が、狂暴な光を帯びているのに気づきました。

驚いて言葉を失ったわたしに、お兄ちゃんは硬い声で続きを促しました。


お兄ちゃん来た、これで勝てる
2017-07-22 05:40:39 (6年前) No.1
お兄ちぁぁゃん!
2017-11-13 19:45:11 (6年前) No.2
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