86:


イブの当日、わたしは電話機の前にケーキとジュースを並べて座り、
お兄ちゃんからの電話を待ちました。

7時少し前に、電話機がプ、と鳴りました。
わたしはすかさず、受話器を取り上げ、精一杯大きな声で言いました。

「メリークリスマス!」

「……メ、メリークリスマス……」

返ってきたのは、お兄ちゃんの声ではありませんでした。

「…………R君?」

「う、うん。どうしたの? 元気良いね」

いつお兄ちゃんから電話が掛かってくるかわからないのに、
邪魔されたようでいらいらしました。

「なに?」

「……えーと、あー、その、今日は予定ある?」

わたしは間髪を入れず答えました。

「ある」

「あ……そうなんだ。ごめん」

「それだけ?」

「う、うん。じゃあ、またね……」

ガチャリ、と受話器を下ろしました。
ちょっと気が抜けてしまいました。
時計に目をやると、7時を過ぎていました。

電話機が、プルルルルと鳴りました。
深呼吸をして、3回鳴るまで待ち、受話器を取り上げました。

「はい、××です」

「○○か? 俺だ」

間違いなく、お兄ちゃんの声でした。

「お兄ちゃん、メリークリスマス」

「メリークリスマス。ケーキは届いたか?」

「うん。目の前にある。すごく美味しそう」

「食べてみろよ。フルーツたっぷり入れた自信作だ。
 日持ちするから、少しずつ食べればいい。
 ラムとブランデーが入ってるけど、酔っぱらうなよ?」

「やっぱり、お兄ちゃんの手作り?」

「ああ。お菓子も焼けるようになったぞ。
 お前こそ、枕カバーありがとな。さっそく使ってるよ」

わたしは、雲の上まで舞い上がったような心地でした。
電話越しに、お兄ちゃんの後ろでざわめきが聞こえました。

「誰か居るの?」

「ん、ああ。友達の家でパーティーやってる最中だ。
 たまには息抜きしなくちゃな。
 お前は……ひとりか?」

「うん。でも、お兄ちゃんが電話くれたから、良い」

その時、「ちょっとだけ替わりぃな」と、女の人の声がしました。

「あ、○○ちゃん? 初めまして。わたしS。お兄ちゃんのお友達ぃ」

わたしは雲のあいだから、真っ逆様に墜落しました。
口だけが、勝手に動きました。

「もしもし。わたし○○です。兄がいつもお世話になっています」

「礼儀正しいねー。お兄ちゃんがいつも自慢するわけだぁ」

Sさんはけらけら笑っていました。
向こうでは、お兄ちゃんと受話器を取り合っているようです。

「ちょっとやだぁ……とにかく、あなたのためにお兄ちゃん、
 ケーキの焼き方教えてくれって家まで来るんだもん。妬けるわー」

ごりごりっと音がして、受話器がお兄ちゃんの手に戻りました。

「…………」

「あ、○○、聞いてるか?」

「うん……」

「このバカ、勝手にシャンパン飲んで酔っぱらいやがって。
 いつもはこんなじゃないんだ。気にするなよ」

焦っているのか、お兄ちゃんは早口になっていました。

「うん……Sさんって、お兄ちゃんの彼女?」

「ん、あ……まあな」

「そう……。Cさんのこと、忘れられたんだね。良かった」

「…………」

沈黙が、胸に刺さりました。

「お兄ちゃん、パーティーがあるんでしょ?
 わたしはもう良いから、楽しんで。
 初詣行ったら、受験のお守り送るね」

「ああ、頼む。
 お前も、体に気を付けろよ。またな……」

わたしは受話器を置いて、小さく切り分けたケーキを頬張りました。
甘さと苦さの入り混じった、とても深い美味しさでした。
噛んでいるうちに、涙の味が混じってきました。


残り127文字