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「○○、ごめんな。
 お兄ちゃん、約束守れなかった」

約束ってなんだろう、と、わたしは不思議に思いました。
お兄ちゃんは、早口で話を続けました。

「お前に危ない事するなって言われてたのにな。
 友達が揉め事に巻き込まれてな。
 ほっとけなかったんだ。
 相手が大勢でな。
 友達が木刀持って来てなかったら、やられてたかもしれない。
 ……はは、言い訳だな」

父親に一言も話さなかったお兄ちゃんが、わたしに向かって必死に言い訳していました。
お兄ちゃんはわたしの目の前で、膝を折って両手をベッドに突き、項垂れました。

「畜生、畜生、畜生……」

唸るようなお兄ちゃんの声に、わたしは、お兄ちゃんが壊れてしまうのではないか、
と思いました。
わたしはお兄ちゃんの首を抱え、自分の膝に引き寄せました。
お兄ちゃんはまるで力が無いかのように、されるがままになっていました。
お兄ちゃんの顔が太股に当たり、やがて、一つ、また一つと、熱い点の感触が、
パジャマの布地越しに伝わって来ました。

わたしが泣いてお兄ちゃんに慰められた、以前とは全く正反対の状況に、
わたしは何をしたらいいか、何を言ったらいいか分からず、狼狽えました。
胸の中では、お兄ちゃんと一緒に居る嬉しさと、お兄ちゃんが苦しんでいる事への
焦燥と、離ればなれになる事への不安とが、入り混じって渦巻いていました。

やがて、お兄ちゃんはがばっと立ち上がり、背中を向けました。

「ふふ、格好悪いとこ見せちゃったな。
 あーあ、なにやってんだろ俺」

恥ずかしそうな、淋しそうな声でした。

「お兄ちゃんは格好良いよ!」

わたしは反射的に断言しました。

「ん、ありがと。
 そう言ってくれるのはお前だけだ。
 ……よし、頑張らなくっちゃな。
 ○○、お兄ちゃん遠くへ行くけど、
 きっとまた帰って来る。
 それまで、一人で頑張れ。
 いや、友達も作れよ。
 ……悪い友達は作っちゃ駄目だぞ。
 お前をこの家に残して行きたくないけど、
 お兄ちゃんにはどうしようもない……ごめんな」

「いい、いい。お兄ちゃんのせいじゃない」

わたしは子供でした。わたしが手が届かないほど大人だと思っていた、
お兄ちゃんもまた、大人の都合に抗う術のない、子供でした。

あの時、お兄ちゃんが父親に反抗していたら、どうなっただろうと思います。
父親は頑健で、腕も太かったのですが、お兄ちゃんなら勝っていたかもしれません。

でもなぜか、お兄ちゃんがわたしの見ている前で、暴力を振るっているのは、
一度も見た事がありません。

わたしの言葉にお兄ちゃんは頷き、「おやすみ」と言って部屋を出て行きました。
わたしは一人になり、ベッドに横になりました。
でも、そのまま寝付くことは出来ませんでした。
色々な事が、頭を去来しました。

わたしは起きあがって、部屋の中を行ったり来たりしました。
居ても立ってもいられませんでした。
頭の中がぐちゃぐちゃになって、泣く事も笑う事も怒る事も出来ませんでした。

わたしは枕を抱いて、お兄ちゃんの部屋の前に立ちました。
そうっとドアを引き、中に入りました。
明かりは、お兄ちゃんがいつも寝る時に点けている、小さな赤いランプだけでした。

わたしは囁くような声で言いました。

「お兄ちゃん、起きてる?」

お兄ちゃんがごろりと、こちらを向きました。

「ん……○○、まだ、起きてたのか?」

「うん……眠れない。
 お兄ちゃん、今夜だけ、一緒に寝ていい?
 ……お願い」

わたしが真剣にお兄ちゃんに何かをねだったのは、これが初めてだったと思います。
一瞬の沈黙の後、お兄ちゃんが答えました。

「……いいよ。おいで」

お兄ちゃんが自分の身を、ベッドの向こう側ぎりぎりに寄せました。
わたしはベッドに這い上がりながら、言いました。

「そんなに端っこだと、落ちちゃうよ。
 お兄ちゃんの方が大きいんだから、
 もっと、こっちに来て」


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