228:



わたしも目を細めて、視線をお兄ちゃんに返しました。
心が澄んで、なにひとつ恐くありませんでした。

むしろ、さっきまでの焦燥にも似た胸苦しさとは別の、
心地よく締めつけられるような温かい痛みが、胸に満ちました。

今、わたしはお兄ちゃんの本当の心に触れているんだ、
と思いました。

「恐く、ないよ。軽蔑もしない。
 人を殴って喜ぶのは悪い。
 でも……わたしもきっと、体がもっと丈夫だったら、
 お兄ちゃんといっしょに悪いことしてた」

お兄ちゃんは、意外そうな声をあげました。

「お前が、か?」

「うん。わたし、ホントは真面目でも良い子でもないよ。
 ただ、そうしてたほうが面倒がないだけ。
 規則を守ってさえいれば、うるさく言われないでしょ?
 なにが本当に良いことでなにが悪いのか、
 自動的に判断してくれる良心は、わたしには無いみたい。
 だから、良いとか悪いとか、わたしには関係ない。
 言いにくいことをお兄ちゃんが話してくれたのが、嬉しい」

わたしはお兄ちゃんの頭を、両手で引き寄せ、
額に触れるだけの口づけをして、小さな胸に抱き締めました。

「お兄ちゃんは好きなことして良いけど、ウソだけはつかないで。
 わたしはなんにもできないけど、お兄ちゃんのためならなんでもする。
 だから、なにか辛いことがあったら、わたしに話して。
 どんなに辛いことでも、本当のことを知りたい」

お兄ちゃんの吐く息で、胸が温められるようでした。

「うん。○○、ありがと。ありがと」

お兄ちゃんがわたしの背に腕を回し、くぐもった声でそうつぶやくと、
くすぐったい歓喜が胸から全身に行き渡りました。

お風呂場で肌と肌を触れ合わせていたときよりも、
もっと心と心が融け合っている実感がありました。

むずがゆい眩暈に似た性的快感とは種類の違う、
震えだす寸前の充溢感に、身も心もはち切れそうでした。

端から見れば、自分より遥かに体格のよいお兄ちゃんを、
小さなわたしが胸に抱いているのは、珍妙な光景だったかもしれません。

いつもとあべこべに、お兄ちゃんの髪を繰り返し撫でながら、
わたしは、お兄ちゃんを守りたい、とひたすら思いました。

そうして、イブの夜は、お互いの息の音とぬくもりを分かち合いながら、
静かに更けていきました。

……その静寂が破られたのは、もう真夜中でした。
眠りの浅いわたしが、先に目を覚ましました。

どこか遠くで、プルルルル……プルルルル……と音が鳴っています。
わたしは寝惚けた頭で、なんだろう、あれは、と思いました。
ハッと気がつくと、胸に抱いていたはずの頭がありません。

寝相の良くないお兄ちゃんは、わたしの腰に抱きついて、
顔をヘソのあたりに押しつけていました。
わたしがビックリして身じろぎすると、お兄ちゃんも目を覚ましました。

まだ、電話の呼び出し音は続いています。
お兄ちゃんがガバッと身を起こしました。

「なんだ? こんな時間に」

お兄ちゃんはわたしを飛び越えてベッドを降り、ドアを開け放って、
バタバタと階段を駆け下りて行きました。

わたしもベッドを降りて、開いたドアのすぐそばに身を寄せました。
ドアの隙間から顔を出すと、お兄ちゃんの話し声が切れ切れに聞こえました。

「——だから——こんな夜更けに——F兄ちゃん———
 ———そんな———大変な————
 わかったから——泣くなって————」

電話はなかなか終わりそうにありません。
わたしはドアを閉めて、その場に正座しました。
お兄ちゃんが帰ってくるまで、起きて待っていたかったのです。

1時間ほど経っていたかもしれません。わたしがうつらうつらしていると、
いきなりドアが開いてお兄ちゃんが入ってきました。
眠くてお兄ちゃんの足音を聞き漏らしたようです。

お兄ちゃんも眠かったのか、ドアのすぐ内側に座っていたわたしにつまずいて、
もつれるように転びました。

倒れかかったお兄ちゃんの膝が胸元にヒットして、
わたしはカエルが潰れるように「ひぎっ」と一声あげて悶絶しました。

わたしが胸を押さえてごろごろ転がると、
お兄ちゃんがあわててわたしを抱き起こしました。

「○○、大丈夫か? すまん!」

ゆさゆさ揺すられても、息のできないわたしには返事もままなりません。

(い……たい……ゆ……ゆらさない、で……)


残り127文字