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冬休みに入ってから、わたしはずっと家の中に閉じこもっていました。
外の冷たい空気に触れるだけの気力が、失われていたのです。

1週間のあいだ、ほとんど口を利くこともありませんでした。
お手伝いさんへの短い返答が、わたしの口から発せられる言葉の全てでした。

近くの書店の上得意だったので、ツケで新刊を配達してもらえました。
ほとんど本や雑誌に埋もれるようにして、ページを繰りながら、
わたしの頭の大部分は思考を止めていました。

何かを考えようとすると、お兄ちゃんを思い出してしまいます。
そうしたら、それにSさんの笑い声がかぶさってきてしまうのです。

自分の心の末端が悲鳴を上げて、少しずつ散り散りになっていくのを、
わたしは醒めた意識のどこかで、無感覚に見つめていました。

大晦日になりました。
その日も、特にいつもと違いはありませんでした。
テレビをつけることもなく、平坦な一日が過ぎていきました。

ごおおおおんと、除夜の鐘が響いてきました。
わたしは黙々と、毛糸の下着、ウールのシャツとスカート、セーター、
裾の長いコート、マフラー、帽子、手袋を身に着けました。

雪だるまのように着ぶくれて外に出ると、顔が寒さで強ばりました。
闇の中で、吐く息だけが街灯に白く浮かび上がりました。

いくら寒くても、初詣に行かなくてはいけません。
そんな強迫観念にも似た思いに背中を押されて、神社への道を急ぎました。

真夜中だというのに、神社の近くには人通りがありました。
二年参りに向かう人々の列です。

道に面したコンビニエンスストアの前には、中高生の人だかりが出来ています。
傍若無人な話し声が、騒がしいほどでした。

わたしは脇目もふらず、鳥居をくぐりました。
社務所の脇で、お神籤とお守りが売っています。

お神籤には興味がありませんでした。
病院で理不尽な死を知って以来、わたしは神仏を信じられなくなっていました。
それでもお守りを買う気になったのは、
お兄ちゃんにはそれが気休めになるかもしれない、と思ったからです。

お守りを買ってポケットに入れ、賽銭箱の前に立ちました。
両脇で次々と、誰かがお金を投げ入れて手を合わせます。
わたしはじっと本殿を見つめながら、しばらく突っ立っていました。
結局願い事をすることなく、わたしは踵を返しました。

綺麗な振り袖を着た女の子が、両親に手を引かれて歩いてきました。
仲睦まじい親子連れとすれ違って、わたしはひどい疲れを覚えました。
よろよろと、境内の隅の石柵に腰を下ろして休憩しました。

顔を真っ直ぐ前に向けていると、涙がぽろぽろとこぼれ落ちました。
どうして涙が出てくるんだろう、と人ごとのように不思議に思いました。
目の前を通り過ぎる人影が、不意に立ち止まりました。

「××さん?」

わたしはハッとして涙を拭い、顔を背けました。

「どうしたの?」

R君の声でした。

「……なんでもない」

「そ、そう? 明けましておめでとう」

「明けましておめでとう」

「初詣?」

わたしはうなずきました。
向こうから、女の人の声がしました。

「R、どうしたの?」

「いいから、先に行ってて!」

「お母さん?」

「うん。××さんの家の人は?」

「わたしひとり」

R君は落ち着きをなくして、あたふたしました。

「……ちょっと、ここで待ってて」

R君はどこかに駆けて行きました。
わたしがぼうっとしていると、R君が紙コップを持って歩いて来ました。

「これ、あっちで配ってた。甘酒。あったまるよ」

「ありがとう」

甘酒を飲むと、冷えていた体が温まりました。

「R君。どうして、優しくしてくれるの?」

この時のわたしには、自分が誰かの好意に値するとは想像もできませんでした。


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