87:
冬休みに入ってから、わたしはずっと家の中に閉じこもっていました。
外の冷たい空気に触れるだけの気力が、失われていたのです。
1週間のあいだ、ほとんど口を利くこともありませんでした。
お手伝いさんへの短い返答が、わたしの口から発せられる言葉の全てでした。
近くの書店の上得意だったので、ツケで新刊を配達してもらえました。
ほとんど本や雑誌に埋もれるようにして、ページを繰りながら、
わたしの頭の大部分は思考を止めていました。
何かを考えようとすると、お兄ちゃんを思い出してしまいます。
そうしたら、それにSさんの笑い声がかぶさってきてしまうのです。
自分の心の末端が悲鳴を上げて、少しずつ散り散りになっていくのを、
わたしは醒めた意識のどこかで、無感覚に見つめていました。
大晦日になりました。
その日も、特にいつもと違いはありませんでした。
テレビをつけることもなく、平坦な一日が過ぎていきました。
ごおおおおんと、除夜の鐘が響いてきました。
わたしは黙々と、毛糸の下着、ウールのシャツとスカート、セーター、
裾の長いコート、マフラー、帽子、手袋を身に着けました。
雪だるまのように着ぶくれて外に出ると、顔が寒さで強ばりました。
闇の中で、吐く息だけが街灯に白く浮かび上がりました。
いくら寒くても、初詣に行かなくてはいけません。
そんな強迫観念にも似た思いに背中を押されて、神社への道を急ぎました。
真夜中だというのに、神社の近くには人通りがありました。
二年参りに向かう人々の列です。
道に面したコンビニエンスストアの前には、中高生の人だかりが出来ています。
傍若無人な話し声が、騒がしいほどでした。
わたしは脇目もふらず、鳥居をくぐりました。
社務所の脇で、お神籤とお守りが売っています。
お神籤には興味がありませんでした。
病院で理不尽な死を知って以来、わたしは神仏を信じられなくなっていました。
それでもお守りを買う気になったのは、
お兄ちゃんにはそれが気休めになるかもしれない、と思ったからです。
お守りを買ってポケットに入れ、賽銭箱の前に立ちました。
両脇で次々と、誰かがお金を投げ入れて手を合わせます。
わたしはじっと本殿を見つめながら、しばらく突っ立っていました。
結局願い事をすることなく、わたしは踵を返しました。
綺麗な振り袖を着た女の子が、両親に手を引かれて歩いてきました。
仲睦まじい親子連れとすれ違って、わたしはひどい疲れを覚えました。
よろよろと、境内の隅の石柵に腰を下ろして休憩しました。
顔を真っ直ぐ前に向けていると、涙がぽろぽろとこぼれ落ちました。
どうして涙が出てくるんだろう、と人ごとのように不思議に思いました。
目の前を通り過ぎる人影が、不意に立ち止まりました。
「××さん?」
わたしはハッとして涙を拭い、顔を背けました。
「どうしたの?」
R君の声でした。
「……なんでもない」
「そ、そう? 明けましておめでとう」
「明けましておめでとう」
「初詣?」
わたしはうなずきました。
向こうから、女の人の声がしました。
「R、どうしたの?」
「いいから、先に行ってて!」
「お母さん?」
「うん。××さんの家の人は?」
「わたしひとり」
R君は落ち着きをなくして、あたふたしました。
「……ちょっと、ここで待ってて」
R君はどこかに駆けて行きました。
わたしがぼうっとしていると、R君が紙コップを持って歩いて来ました。
「これ、あっちで配ってた。甘酒。あったまるよ」
「ありがとう」
甘酒を飲むと、冷えていた体が温まりました。
「R君。どうして、優しくしてくれるの?」
この時のわたしには、自分が誰かの好意に値するとは想像もできませんでした。