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物心付いたとき、わたしの家が特に変わっているとは意識しませんでした。
他の家の事をよく知らなかったからです。
意識したのは、自分が変な子だという事でした。

小学校に入っても、一人も友達が出来ません。
1週間ずっと学校で誰とも口を利かない事もありました。
内気だったのと、体が弱かったせいもありますけど、
一番大きな理由は、
わたしがみんなの話題に付いていけなかった事です。

テレビの話題とか、芸能界の話題とか、全く興味が湧きませんでした。
わたしが痩せていて体が弱いのが知られていたおかげで、
いじめられる事はありませんでしたが、
教室ではいつもひとりぼっちでした。

家に帰っても、お母さんはいつも留守でした。
両親ともに働いていたせいです。

その寂しさを紛らわすために、いつも本を読んでいました。
本と言っても、図書館の児童書と、少年漫画が半々でしたけど。
3つ年上のお兄ちゃんが毎週買ってくる少年ジャンプが本当に楽しみでした。
先に読ませてくれるわけではないので、
いつも月曜日に学校から帰ると、
ジャンプを読んでいるお兄ちゃんの足許に座り込んでじっと待っていました。

お兄ちゃんはわたしの憧れでした。
運動音痴のわたしと違って、スポーツ万能で、サッカー部に入っていました。
本の虫のわたしもテストの成績だけは良かったのですが、
お兄ちゃんは家で勉強している所を見た事がないのに上位の成績でした。
身内褒めで恥ずかしいのですが、
鼻筋が通っていて眉毛がきりっとしたハンサムで、
わたしのようなストレートの硬い髪の毛じゃなくて、
ふわふわしたくせっ毛を肩に届かないぐらいに伸ばしていました。

でも、ただスポーツが出来るとか、頭がいいとか、外見がかっこいいとかだけなら、
あんなに好きになる事はなかったでしょう。

今考えても可愛げのなかった、引きこもりがちの、暗いわたしに、
お兄ちゃんはとてもとても優しくしてくれました。
自分も遊びたい盛りなのに、
足手まといのわたしを、外に遊びに連れ出してくれました。
小学校時代にわたしが外で遊んだ記憶のほとんどは、
お兄ちゃんとの大切な思い出です。
ブラコンと言われても構いません。

恐がりで小学校3年生まで自転車に乗れなかったわたしに、
小学校の校庭で自転車の練習をさせた時は少し恨みましたけど。
暗くなるまで練習に付き合ってくれて、
転んで膝をすりむいたわたしがわんわん泣き出すと、
自転車の荷台に乗せて家に連れて帰って、
ぬるま湯で泥まみれの足を洗ってくれました。

友達の居ないわたしでも、
お兄ちゃんを好きになるのがおかしな事だとは分かっていました。
でも、そうならなければきっと、
中学に上がる前にわたしの心は寂しさで押しつぶされていたと思います。

家の中で味方はお兄ちゃんだけでした。
母親は、女にしておくのが勿体ないとよく言われる豪傑肌で、
家に居着く事がありませんでした。
後から、父親との仲が上手くいっていなかったせいだと分かって許しましたが、
お世辞にも母親らしい母親ではありませんでした。

父親は、もう父親とこうして書くのも嫌です。
あの男は、心が狭くて、お金にうるさくて、ずっと前の失敗でも覚えていて
ねちねち言ってくるような最低の人間でした。
身内の事をこんな風に悪く書くのはいけない事なのでしょうが、
あの男と同じ血が自分にも流れていると考えただけで寒気がします。