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わたしはホッと安堵しながら、ご飯とおみそ汁をよそって、
お兄ちゃんの前に置きました。
お兄ちゃんはみそ汁を一口吸って、言いました。
「みそ汁の味付け、俺ともう変わらんな。いつでもお嫁に行けるぞ」
「お兄ちゃん……」
「ん?」
「キスしてくれて……ありがと」
ぶはっ、とお兄ちゃんがみそ汁を吹き出しました。
気管に入ったのか、げほげほと咳をしています。
わたしはタオルを取ってきて、お兄ちゃんに手渡しました。
「だいじょうぶ?」
「げほっ……お前……あれは……真似事みたいなモンだ。
練習だ練習……兄妹なんだから……キスのうちに入らないって。
本気のキスは、彼氏にとっとけ」
「練習……」
練習だったのかぁ、と思うと、ずーん、と気持ちが沈み込みました。
「……また、練習させてくれる?」
ゆうべのキスは、何がなんだかわからないうちに終わっていました。
「ババババカ、ダメに決まってるだろ!」
「練習なら……」
「練習でも、何遍もしてたら本気になるかもしれないし……」
練習のキスと本気のキス、どこがどう違うのか、よくわかりませんでした。
「じゃあ、あと1回だけ……お願い」
じーっと、視線が絡み合いました。空気が結晶化したようでした。
お兄ちゃんが先に目を伏せました。
「……1回だけだぞ?」
「うん」
「こっちおいで……待て、抱きつくのは無しな」
立ち上がったお兄ちゃんの前すれすれに立ちました。
練習、練習、練習、と心の中でつぶやきましたが、頭は爆発寸前でした。
「練習なんだから、もっと力抜け」
「あれ……?」
肩がカクカク震えていました。その肩に、お兄ちゃんの手が置かれました。
視野がせばまって、お兄ちゃんしか視界に映りませんでした。
「そのままじゃダメだ。顔上げなくちゃ」
顔を上げると、お兄ちゃんの顔がすぐ目の前でした。
心臓がバクバク言って壊れそうでした。
わたしは一心に、お兄ちゃんの瞳を見つめました。
「目は閉じる」
目を閉じると、自分の鼓動の大きさに体全体が揺れるようでした。
いつ来るのかと待ちかねて、目蓋を薄く開けてみると、
お兄ちゃんの顔が覆いかぶさってきました。
「……!」
息を吐こうとしたところを、お兄ちゃんの唇にふさがれました。
ゆうべと違って、湿った柔らかい感触が確かに感じられました。
再び目を閉じると、体の中で熱いかたまりが膨れあがるようでした。
でも呼吸ができなくて、かたまりを追い出すことができず、
気が遠くなりかけて、お兄ちゃんの肩をぎゅっと掴みました。
ふっと唇から感触が消え、お兄ちゃんが遠ざかりました。
わたしははぁはぁと、空気を求めて荒い息をつきました。
「バカ……苦しかったら鼻で息するんだ」
お兄ちゃんは可笑しそうに笑いました。
「でも……息がかかっちゃう」
「練習はこれで十分だな……今のお前見れば、
男なら誰だってキスしたくなる。顔、真っ赤だ」
そう言うお兄ちゃんも、顔を赤くして大きく呼吸していました。
お兄ちゃんに肩を軽く押されて、わたしはよろけるように腰を下ろしました。
興奮しすぎたせいか、酔っぱらったみたいに足にうまく力が入りません。
お兄ちゃんはそのまま、台所に行ってしまいました。
お兄ちゃんはしばらくして、紅茶のポットとケーキを手に戻ってきました。
「デザートだ」
お兄ちゃんに向かって、なんて言ったら良いか浮かびません。
お兄ちゃんもそうだったのか、言葉少なでした。
2人で紅茶を飲み、甘いケーキをむさぼるようにもりもりと食べました。
デザートにしては多すぎるケーキを食べ尽くすと、
2人のあいだに、奇妙としか言いようのない緊張感が戻ってきました。
「わたし、お皿洗う」
わたしがぎくしゃくと立ち上がると、お兄ちゃんも立ち上がりました。
お兄ちゃんが食器を洗い、わたしが布巾で拭きました。
何度もお皿を落としそうになりました。
することが何もなくなると、お兄ちゃんがつぶやきました。
「○○」
「え、なに? お兄ちゃん」
「今日はちょっと出かけてくる。帰りは……遅くなるかもしれない」
「どこ……行くの?」
「友達に会ってくる。
お前も、UちゃんやVちゃんの所に行ってきたらどうだ?」
お兄ちゃんが今日出かけるなんて、初耳でした。
「うん……わかった」