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「え……?」
「お風呂でわたし、寝ちゃったでしょ?
でも起きたら、ちゃんと服着てた。着替えさせてくれたの?」
「ん、まぁ、風邪引くといけないから……」
「全部……見えた?」
わたしはお兄ちゃんの目を、じっと見据えました。
朝だというのに、空気が緊張感で張り詰めました。
お兄ちゃんは言葉を探しているのか、口ごもった後、つぶやきました。
「見えた」
「そう」
わたしは黙って席について、うつむきました。
「……○○、どうしたんだ? おかしいぞ。
バスタオルかぶせて拭いたから、じっくりと見たわけじゃない。
服着せるときは見えたけど……仕方なかったんだ。
そんなに……嫌だったのか?」
お兄ちゃんの声からは、不安が滲み出ていました。
わたしはお兄ちゃんが誤解していると気づいて、顔を上げました。
喉の奥がねばついたようになって、声がなかなか出てきてくれません。
「違う……嫌じゃ、ない」
「だったら、どうして?」
「わたし、子供っぽいでしょ?
中学生にもなって、お風呂で寝てしまって、服まで着せてもらって……。
赤ちゃんみたいね」
眠っているあいだに、まだ毛も生えていないあそこをタオルで拭かれて、
ショーツを穿かされたのかと思うと、恥ずかしさで顔が燃えるようでした。
「うーん……まぁ、冷めないうちにご飯食べよう」
無言のままご飯を口に運びながら、お兄ちゃんは何か考えているようでした。
食後のお茶を入れて勧めると、お兄ちゃんが口を開きました。
「○○……お前は大人だよ」
「え?」
「ホントに子供だったら、そんなこと気にしないだろ?
俺は……お前がもっと子供でも良いと思うぞ。
小学校の頃から、お前は子供らしいところがなかった。
もっとわがまま言って、甘えてくれたほうが嬉しいよ」
「でも……お兄ちゃんは、中学生の時から大人っぽかった」
お兄ちゃんは温かい微笑みを見せて、言いました。
「俺は長男だからな……仕方がないさ。
○○……こっちにおいで」
お兄ちゃんはわたしを膝に乗せて、頭を撫でました。
「嫌か?」
「……嫌じゃない。すごく気持ち良い」
お兄ちゃんに背中を抱かれて、柑橘系の整髪料のにおいを嗅ぐと、
背筋がじーんと痺れるようでした。
「友達に、兄妹で仲が良すぎて変だ、とか言われてないか?」
わたしは首を横に振りました。
「UもVも、そんなこと言わない。
Uはお兄さんをいじめてるけど、ホントは好きみたい。
Vは兄弟がいないから、羨ましいって」
「まぁ……言われたって良いさ。2人きりの兄妹なんだから」
「お兄ちゃん、言われてるの?」
「ん、今は大丈夫だ。昔は言われたけどな。
小学校高学年ぐらいになると、妹と遊ぶのが格好悪いと思う奴が多いんだ。
妹いじめて泣かしてる奴のほうが格好悪いのにな。ガキだったんだ」
「お兄ちゃん……わたしのせいで、いじめられてた?」
「ははは、詰まらない因縁つけてきた奴もいたけどな。
じっくり話し合って納得してもらったよ」
お兄ちゃんの語彙のなかで、「じっくり話し合う」というのは、
どうも一般的な意味とかけ離れているように思えました。
でも、今は、深く問いただして雰囲気を壊したくありませんでした。
「うりゃ」
お兄ちゃんが、わたしの顎の裏をくすぐってきました。
わたしは身をくねらせましたが、お兄ちゃんは放してくれませんでした。
「今から、『にゃあ』以外のコト言うの禁止な」
お兄ちゃんが手を緩めたので、わたしは膝の上から逃れました。
でも、お兄ちゃんが追いかけてきて、さんざんにくすぐられました。
わたしがヘトヘトになって、涙を流すと、お兄ちゃんは謝りました。
「ごめん……やりすぎたか」
「……お兄ちゃんの、ばか」
でも本当は、たまには子供になるのも良いか、と思いました。
そうして、プールに行く日がやってきました。
条件にあったプールは、Yさんが見付けておいてくれました。
電車でないと行けない距離だったので、駅前で待ち合わせをしました。
わたしは、この前買った水着をリュックに詰めました。
お兄ちゃんに記念写真を撮りたいと言われていましたが、
まだ水着姿も白ワンピースも、お兄ちゃんには見せていませんでした。
白ワンピースに着替えて、鏡に映してみると、去年の夏とよく似ていました。
お兄ちゃんの髪とは逆に、わたしの髪が短くなったのだけが違いでした。
麦わら帽子を抱えて下りていくと、お兄ちゃんの支度も済んでいました。
玄関で、お兄ちゃんが言葉を漏らしました。
「変わってないと思ってたけど、やっぱり去年より大人っぽいな」