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笑い転げるお兄ちゃんに、わたしは唇をへの字に結んで、
抗議の視線を向けました。
「むー……」
「すまん。まさかホントに言うとは思わなかったんだ。お前は素直だなぁ……」
両方の手のひらを合わせて拝むような格好をしながら、
お兄ちゃんはまだ、頬をひくひくさせています。
わたしがそのまま黙って立っていると、お兄ちゃんはわたしの肩を抱き寄せて、
頭を繰り返し撫でました。
「ホントにすまん。頼むから、そんな泣きそうな目をするな……。
ちょっとからかってみたくなったんだよ。悪かった。
……ところで、なにしに来たんだ?」
わたしはしばらくのあいだ目蓋を閉じて、頭を撫でられていました。
何度か逡巡した後、口を開きました。
「今夜は、いっしょに寝て良い?」
「あ……ん……ああ、いいよ」
ああ、というお兄ちゃんの声が、どことなくため息のように聞こえました。
天井の灯りが消されると、ベッドサイドのランプに浮かぶお兄ちゃんは、
影絵じみて見えました。
ベッドに横になったお兄ちゃんの隣に、わたしは潜り込みました。
お兄ちゃんの腕枕に頭を乗せて、横からくっつくような体勢になりました。
心臓がどきどきしているのが、お兄ちゃんに伝わるんじゃないか、と不安でした。
でもそれと同時に、ホッとするような安堵の念も湧いてきました。
自分が落ち着いているのか、興奮しているのか、よくわからなくなっていました。
眠いのに目が冴えているような、止まっているのに急き立てられているような、
夢と
時間の流れの感覚が、曖昧でした。まだ少ししか経っていない気がする反面、
今にも夜明けが来てしまうのではないか、と恐れました。
お兄ちゃんはもう寝てしまったのか、一言も口を利きません。
わたしはお兄ちゃんに横からしっかり抱きついて、足を絡め、
お兄ちゃんの胸元の、寝間着のにおいを吸い込みました。
そうしてわたしが身を固くしていると、いきなりお兄ちゃんの指が、
わたしの首筋に触れました。
「どうした? 眠れないのか?」
囁くような声を聞きながら、こわばった首が揉みほぐされていきました。
気持ち良い、というより、熱い、という感覚でした。
わたしはうわごとのように、ただつぶやきました。
「お兄ちゃん……」
「なんだ?」
「お兄ちゃん、お兄ちゃん……」
わたしは馬鹿になったみたいに、同じ言葉を繰り返しました。
自分でも訳のわからない切迫感に、衝き動かされていました。
お兄ちゃんはわたしの肩を持ち上げて、わたしの顔を自分の胸に乗せました。
お兄ちゃんの寝間着のボタンが、頬に当たりました。
そのかすかな痛みがなぜか心地よくて、わたしは頬をこすりつけました。
「だいじょうぶだ。だいじょうぶだ。泣くことない」
お兄ちゃんの手のひらに背中を撫でられながら、
わたしは自分でも理由のわからないまま、涙をこぼしていました。
眠りがいつ訪れたのか、気がつくとわたしは、布団のなかで丸くなっていました。
ハッ、として背筋を伸ばし、上体を起こしました。
「おはよう。早いんだな」
お兄ちゃんはまだ、そこに居ました。
ベッドの横にあぐらをかいて、頬杖をつき、こちらを見ていました。
「あ、あ、お兄ちゃん、おはよう」
「まだ、寝てていいんだぞ。疲れてるんだろ?」
「でも……お兄ちゃん、田舎に行っちゃうんでしょ?」
「ああ。お前が寝ているうちに出発しようかと思ったんだけどな。
お別れぐらい言っておきたくて、起きるのを待ってたんだ。
二度寝していいぞ。お腹がすいたら、
朝ご飯、というよりもう昼ご飯だけど、用意はできてる」
そう言って、お兄ちゃんの腕が、わたしをベッドに押しつけました。
「それじゃ、○○、さよなら。体に気をつけてな」
「……お兄ちゃん、またね」
わたしはほとんど金縛り状態で、それだけ言うのがやっとでした。
お兄ちゃんの顔が、ゆっくり近づいてきました。
わたしは息を詰めて、目蓋を閉じました。
待っていると、思いがけず、ちゅっとキスされた感覚が額にありました。
わたしが目を開けると、お兄ちゃんはさっと立ち上がって、
背を向けて部屋を出て行きました。
わたしは自分の額を指で押さえたまま、しばらく動けませんでした。